私のテレビ視聴史 ・ テレビ放送にひとこと           

私のテレビ番組聴取の歴史

我が家にテレビが入ったのは昭和31年秋でした。家族が某電機メーカーに勤めていたこともあり,一般の家庭より若干早めであったと思います。
セットが終わりスイッチを入れると,たしか秋の六大学野球の早慶戦の中継が映り家族で歓声をあげました。
まだNHK日本テレビの2チャンネルの時代だったと思います。
以来,テレビは今に至るまで結構よく見てきたので自分のテレビ視聴の歴史を振り返ってみる。
スポーツ番組
スポーツ中継は当時も最も人気を集めた番組で大相撲やプロレス・プロボクシング・プロ野球などかなり熱心に見ていました。
 プロレスは力道山が全盛期で,昭和32〜33年鉄人ルー・テーズとの試合で手に汗を握って真剣に見ていました。今はすっかりショー化してしまったプロレスも当時は結構真剣勝負風で,その分観客は興奮しながら応援したものです。
 プロ野球は川上哲治の時代で,代名詞の弾丸ライナーから次第にテキサスの哲と言われるような時期でした。しばらくして,あの長嶋そして続いてと素晴らしい選手が登場しました。長嶋の昭和33年のデビューでの国鉄スワローズの金田による4打席4三振は生でTV中継を見たかな?。一方,王はピッチャーで入団したがなかなか成果が出ず,すぐに打者に転向し,荒川コーチと共に一本足打法を完成して”世界の王”と言われるようになった。
王さんがデビューしたころ多摩川河川敷の巨人軍の練習グラウンドに行き王さんを見たことがあった。当時は全くオーラは発していなかったですね。
この頃以降のジャイアンツにはエースのジョーこと城之内・悪童堀内・八時半の男宮田など記憶に残る投手たち,篠塚・土井・末次・森・国松・柴田などすごい野手がそろっており奇跡的なV9を達成した。最近は米国メジャーリーグへの移籍が相次ぎ,TVのプロ野球中継もめっきり少なくなったし,たまの中継も殆ど見ないようになってしまった。
 プロボクシングでは白井義男の世界タイトルマッチが印象深いです。昭和27年のタド・マリノからの王座獲得はTVで見た記憶がないが,昭和29年の防衛戦で手の長いパスカル・ペレスに負け,当時のルールのリターンマッチでもまた負けてしまった試合は特に印象的です。その後,矢尾板選手とか海老原選手とかフライ級に素晴らしいボクサーを輩出したが,タイのポーン・キングビッチにリターンマッチで敗戦というような未消化な対戦が繰り返された。昭和37年ころにフライ級にファイテイング原田というボクサーでてきた。手数は多いがあまり才能は無いなと思っていたが,なんと昭和38年に日本の宿敵ポーン・キングビッチを完璧に倒してしまった。3ヵ月後にリターンマッチで敗れ,体重増でバンタム級に移った。このころバンタム級には別名ロープ際の魔術師ことジョー・メデルという日本の宿敵のボクサーがいて,ことごとく日本人ボクサーをマットに沈めた。原田もあっさりKOされた。ところが上には上がいるもので,当時このクラスにはジョー・メデルが敵わない偉大なチャンピオンが君臨していた。黄金のバンタムと称賛されていたエデル・ジョフレである。世界ランクを上げた原田が昭和40年この偉大なチャンピオンに挑戦すると,大方の予想に反しこのチャンピオンを破ってしまった。原田ほどのボクサーはその後しばらく出てこなかった。
昭和50年代に入るとライトフライ級に具志堅用高というボクサーが登場した。具志堅は昭和51年にわずか9戦目で当時無敵のチャンピオンでヘビー級チャンピオンのフォアマンに匹敵する”リトル・フォアマン”とも呼ばれていたファン・グスマンを鮮やかにマットに沈めた。その後13回連続で世界防衛した日本歴代最強チャンピオンであった。ほかにも藤猛・輪島コウイチ・ガッツ石松・など伝説に残るボクサーもいた。野球同様ボクシングもTV中継が少なくなったうえに様々な協会団体がライト・・級、スーパー・・級など多くの階級を設定して世界チャンピオンの大安売りになってしまった。
 相撲については『大相撲の世界』のページに記載した。
さてオリンピック・サッカーワールドカップ・世界陸上・世界水泳などなど国際的なスポーツイベントは年中TV中継されており,高い視聴率を得ています。
やはり日本選手が活躍する場面を見たいので最近はフィギュアースケート・スピードスケート・サッカー・体操・水泳・陸上などをよく見る一方,成績がいまいち振るわないスキージャンプ(特に男子)・バレーボール・陸上トラック/フィールド・卓球などは敬遠しがちです。
意外なのはマラソン駅伝のTV中継です。画面的には長時間にわたり変化の少ない画面が続くが,不思議と視聴者を捉える力があります。
正月の箱根駅伝などは二日間にわたり学生たちの長距離リレーを日本中の人がずっと見入っている(もちろん自分も)。
臨場感あふれる場面,筋書きのないドラマ,一発勝負の緊張感など応援する立場で生中継を視聴しているとスポーツ中継は本当に面白いです。 駅伝は人気があるのでテレビ中継が多いのですがテレビ中継だと選手のゼッケンの会社名が長々とテレビに映り宣伝効果があることから企業とテレビ会社がこぞって駅伝を中継しています。その結果10〜20km位のランニングに強い選手がチヤホヤされ,結果としてフルマラソンに挑戦する有力選手が日陰となり有望選手も生まれてこない悪循環に陥っているような気がしてなりません。
 ところでスポーツ中継で,実況アナウンサーが視聴者を置いてけぼりにする大騒ぎ絶叫中継とか生中継もどきの加工映像とかプロアマ野球中継での決まり文句の解説にあふれる中継解説とかは見ていて本当にうんざりします。
ニュース・解説番組など
 テレビでのホットなニュースは新聞が敵わない分野です。百聞は一見にしかずというほどではないにしても音声と画像という2感を捉えるメディアの威力と言えます。ただ最近インターネットからの情報が豊富になり即時性については既にテレビは追い越されている。
 ニュースの臨場性が確立されたのは,あの昭和47年の浅間山荘事件でしょう。会社から帰ると,山荘突入へのドラマのような状況が延々と中継され,我々も野次馬根性丸出しで延々と見入ったものでした。突入関係者が寒空の下で湯気の立ち上るカップヌードルを食べている場面は意外と印象に残っており,その後カップヌードルが国民食になるきっかけになったと思う。
 それ以上に驚いたのは昭和38年日本初の衛星放送TVで,いきなりアメリカからケネディ大統領の暗殺が伝えられた時でした。当時は暗殺画面は放映されず,臨時ニュースとして現地の日本人アナウンサーが言葉で説明を繰り返していましたが最初は本当の事とは思えなかったです。
 同様に昭和44年アームストロング船長が人類初の月面着地した同時中継は,ぼやけた映像で動作がかろうじて見分けられる程度の画像でしたが,何といっても同時中継の持つ圧倒的な迫力です。このころ西山氏を中心とする同時通訳という技能がTVで注目されたものです。

 NHKのアナウンサーが退職して民放に移るのは,木島則夫氏が民放で昭和39〜43年木島則夫のモーニングショウというワイドショウスタイルのニュースをショウ化した新しい番組を始めたのが最初かもしれません。
引き続き小川宏アナウンサーがよりショウに近い昭和40年〜57年小川宏ショウを始め,どちらも朝の仕事を一段落つけた主婦たちの人気を集めた。ワイドショウ/ニュースショウというスタイルの番組は今も続いているが,どれも亜流で単に放送局の余分の時間帯を埋めるというもので,使い古されたタレント安直なコメンテーターと称して安っぽい発言をするために雁首を並べている。テレビ局の真価が問われていると自覚するべきだ。
音楽・バラエティー番組など
 音楽バラエティーは目と耳を使う大変TV向きなジャンルだと思う。このジャンルではNHKなら昭和36〜41年夢で逢いましょう,民放では昭和33年〜35年光子の窓とその後継番組の昭和36年〜47年シャボン玉ホリデーが真っ先に思い浮かぶ。
 夢逢は黒柳徹子・渥美清・E.H.エリック…といった芸達者なタレント達のコント,作曲家の中村八大・作詞家の永六輔のコンビと西田佐知子・坂本九・坂本スミ子・梓みちよ・九重佑三子・デュ−クエイセスなどなど多彩な歌手による歌など実に面白い番組だった。北島三郎が歌ってヒットした帰ろかなは,たしか最初は夢逢でまだ若かった渥美清が歌っていたと記憶する。上を向いて歩こう・こんにちは赤ちゃんなどなど多くの名曲が生まれた。
 光子の窓は今も俳優として現役の草笛光子が司会役の音楽バラエティー。その後を継いだのがザ・ピーナッツが司会役のシャボン玉ホリデーだ。シャボン玉ではザ・ピーナッツが本格的な歌とダンスのパフォーマンスを繰り広げたし,デビュー間もないクレイジ−・キャッツの様々なコントが本当に面白く毎週日曜日の夕方が待ち遠しかった。
 ベストテン型の音楽番組も一時期人気を集めたが今は殆ど影を失ってしまった。このジャンルの頂点は前田武彦と吉村真理が司会の昭和43年〜平成2年夜のヒットスタジオおよび,黒柳徹子と久米宏が司会の昭和53年〜平成元年ザ・ベストテンであろう。
 クラシック系では作曲家黛敏郎が司会の昭和39年〜題名のない音楽会が根強い人気を得ていた。この番組は出光興産提供で今も継続している。
 NHKでは昭和38年〜60年あなたのメロデイーという番組を放送していた。視聴者が作詞作曲した楽曲をプロの歌手たちが実際に歌い,曲の優劣を競う番組であった。ときに素人が作ったと思えない斬新な曲が登場した。トワエモアが歌った空よ弦哲也が歌った与作などは代表的な作品である。与作はのちに北島三郎が歌って大ヒットした。
 NHKで昭和36年〜継続中なのがみんなの歌である。良い曲が多数あるが,ちあきなおみが歌ったさとうきび畑は特に印象深い。その他山口さんちのツトム君・北風小僧の貫太郎・切手のない贈り物・・・数えきれない!
 ところで,このところ音楽のベストテン番組は全く力がなくなってしまった。はやり歌自体が歌詞がはっきり聞き取れず,印象的なメロディーが欠如したリズムだけになっているためとしか思えない。
お笑い・娯楽番組など
 お笑い番組で最初に浮かぶのは一龍齋貞鳳・三遊亭小金馬・江戸屋猫八のトリオで繰り広げた昭和31年〜41年お笑い三人組です。
民放では昭和34年〜39年おとなの漫画青島幸雄らが作った風刺寸劇をクレージーキャッツが演じた非常に個性的な番組でした。
昭和37年〜43年てなもんや三度笠は関西系の全国的ヒット番組であった。
その後欽ちゃんの一連の番組に続き,ザ・ドリフターズの昭和44年〜60年8時だよ!全員集合が子供達を中心に大人も含めた国民的大ヒット番組になった。
 昭和40年に金曜夜席という落語家の番組が始まった。立川談志が司会役で大喜利というコーナーは圓楽歌丸が小粋な会話や気の利いたセリフを駆使する非常に面白いもので,私はすぐはまってしまった。昭和41年には,今に続く日曜夕方の笑点になった。その後司会が何代も変わり,大喜利メンバーも全て変わったが,今も人気の番組である(私は司会役の圓楽が交代した以降は全く見ていない)。
 昭和55年〜61年にお笑い スター誕生という素人芸人のオーディション番組があった。この番組からは漫才のおぼん・こぼん,コントのとんねるず,形態模写のコロッケなどなど今も活躍する数々のお笑いスターが誕生した
 昭和38年〜53年はウクレレ漫談の牧真二が司会の大正テレビ寄席が人気を集めた。
 昭和57年からウィークデイの昼にタモリが司会の森田一義アワー 笑っていいとも!が始まった。昼間からおふざけのアブナイお笑い番組はダメだろうとの予想に反し,ギネスにも載る長寿番組になった。ひとえにタモリの多才さ/人柄によるものであるが,平成26年3月をもって番組終了となった。
クイズ・クイズショウ番組など
 クイズショウ番組といえば,まずNHKの昭和31年〜42年私の秘密です。高橋圭三の軽妙な司会と渡辺紳一郎・藤原あき・・ら解答者との駆け引きで出場者が持つ秘密を当てる番組で,絶大な人気を誇っていた。
 昭和32年〜38年には私だけが知っているという推理バラエティーがあった。司会役は,なんと徳川夢声でした。
昭和38年〜43年には小川宏アナウンサーでジェスチャーという番組が大人気だった。芸能人が参加して,視聴者が寄せた短い文章をジェスチャーで男女対抗で当てあう番組で白組の柳家金語楼・紅組の水の江瀧子の両キャプテンの絶妙さが人気の元でした。
 昭和44年〜平成3年にはジェスチャーを引き継ぐ番組連想ゲームが人気だった。やはり紅白戦で白の加藤芳郎,赤の水沢アキの時代が頂点でした。
これらNHKのクイズ系番組は司会と一般参加者との軽妙な掛合いを楽しむ面が強かったと思う。
 この頃,民放ではクイズ タイムショックアップダウンクイズダイビングクイズ少し遅れてパネルクイズアタック25といった視聴者参加のクイズ番組が視聴率を競っていた。タイムショックの司会は,何と田宮二郎でした。アタック25はもちろん児玉清の司会でした。
 NHKの視聴者参加クイズでは昭和37年〜45年にシャープさん・フラットさんという音楽クイズ番組が人気だった。この番組のイントロクイズを発展させたのが昭和51年〜63年のクイズ・ドレミファドンでした。今も時々イントロクイズがあります。
関西系では買い物・・・とか新婚さん・・・といった番組もあるが,好みが違うので私は殆ど見ていない。
 昭和52年から不定期でアメリカ横断ウルトラクイズという視聴者参加のクイズ番組がある。当初は本格的クイズマニアが超難問に挑戦してハイレベルの知識を競う番組であったが,繰り返すに従いバラエティー的なコンセプトが色濃くなり,今は全く見ません。
 最近は回答者にも似たような顔ぶれの芸人/タレントたちが雁首を揃えるショウ化された類似の番組がいくつもあって完全に食傷気味である。民放各局のプロデュース人材の深刻な不足を露呈している。
ちょっと範疇は違うがお宝鑑定団は独自性があり笑いながらも真剣に見ることができる素晴らしい番組だ。
ドラマ番組
 最初にテレビが見られるようになった時によく見たのはワイズミュラーが主演したジャングル・ジムである。いわゆるターザンものでワイズミュラーはアメリカの水泳金メダリストだったと記憶する。共演したチンパンジーも有名になった。このターザンは野生人ではなく、あくまで野生のジャングルにすむ文明人でした。
 日本のテレビドラマとしては昭和33年にフランキー堺主演のNHK私は貝になりたいが出色の単発ドラマであった。まだ戦後という言葉が死語になっていない時代のドラマで,一般兵の戦争責任が問われるという理不尽なストーリーが我々の胸を激しく打った。
このころNHKでは連続ホームドラマ:バス通り裏昭和33年〜38年が多くの人に視聴されていた。十朱幸代が本当に初々しい。佐藤英夫荒木一郎などなどが何気ない毎日の風景を帯ドラマとして演じていた。中原美沙緒が歌う主題歌が毎日夕方多くの家庭で流れていた。
 民放では昭和32年〜34年に赤胴鈴之助が放送され我々子供たちの人気を集めた。何といっても,あの吉永小百合のテレビデビュー番組です。
同じく昭和35年〜36年に怪傑ハリマオが人気だったが,私は全く見ていなかったので当然中身の記憶は全くない。
 若干硬派のドラマではNHKの昭和33年〜41年事件記者をよく見ました。役名のキャップ・ベイさん・ガンさんなど今でも何故か忘れません。民放では昭和36年〜39年に七人の刑事がヒットした。その他警察ドラマとして太陽にほえろ・西部警察などなどや探偵ものが今でも手を変え品を変え登場するが私は殆ど見ていない。現在もサスペンスドラマが延々と継続しているが,いとも安直な連続殺人とか自白至上主義とか殆ど視聴者を馬鹿にしているとしか思えない単純なものが多い。
 アメリカドラマではシェパード犬が主役の名犬リンチンチン,コリー犬が主役の名犬ラッシーが流行った。同じころいわゆるホームドラマとしてパパは何でも知っている・家のママは世界一などがよく見られたが,何といってもコメデイードラマ奥様は魔女がダントツに面白かった。主役のサマンサ・ダーリン夫婦や子供のタバサなど今でも懐かしい。日本ではチャコちゃんのシリーズが多くの支持を得ていた。
 NHKを代表するドラマは大河ドラマ朝の連続ドラマである。今も時々国民的大ヒットとなる作品が出てくる。詳細はこのホームページの
NHK朝の連ドラ及び大河ドラマの世界を参照してください。
ドラマのTBSということでTBSを中心に各局が数えきれないほど多くのドラマを放送してきたが,この分野は以前は視聴していないのでわかりませんが今はツウです。
SF・アニメ番組
 SF番組では何といっても昭和27年〜33年のアメリカSFスーパーマンです。当時われわれ子供はもちろん大人も夢中で見ていました。クリプトン星から地球に送られる初回から欠かさず見たものです。特撮技術はもちろん素朴でしたがテレビならではの番組でした。吹き替え役の大平透まで有名でした。昭和31年にはNHKも遊星人Mという実写版のSFドラマを放映しました。江川宇礼雄・沼田曜一という出演者の印象は強かったです。昭和29年に映画ゴジラが空前の大ヒットしてSFものに関心が高まり,あのSFアニメ(たしか当時はテレビ漫画と言っていました)鉄腕アトムが昭和38年から始まった。アトムは何と昭和56年まで続いた。引き続いて鉄人28号や手塚プロの一連のテレビアニメが登場した。
少し毛色の異なる実写のSFヒーローものとして昭和33年〜34年月光仮面が登場した。単純明快な勧善懲悪ストーリーでもしっかり子供の心を掴んでいた。この実写SFヒーローものはその後仮面ライダーとか円谷プロウルトラマンのシリーズなどなど今も切れ目なく続いて子供たちのヒーローです。
 実写版では昭和31年にNHKでアメリカの空想科学劇場という番組があった。科学の側面の強い内容で,当時はまだSFという言葉が一般的でなかったので空想科学という言葉を使っていたのが懐かしい。このシリーズは殆ど見たと思う。 昭和35年〜42年にアメリカのミステリー・ゾーンが,昭和38年〜40年にアウターリミッツが人気だった。どちらも科学の色合いを強めた大人が見ても面白いストーリーがあった。最近のXファイルもこの系統のSFドラマだと思います(2,3回しか見ていないが)。
若干異色のSFコメデイーが昭和29年〜のブラボー火星人,火星からやってきたマーチンという火星人の地球での珍騒動でした。
一般のアニメでは昭和43年〜巨人の星,昭和45年〜あしたのジョー,昭和44年〜アタックナンバーワン・・・・スポーツど根性物(スポ根物)がヒットした。昭和60年〜タッチのような青春スポーツアニメもあった。これらのアニメ作品はいずれも漫画雑誌などでのヒットがアニメ化されたものです。当初はテレビでも漫画と呼ばれていたが,いつからかアニメと呼ばれるようになった。昭和49年〜宇宙戦艦ヤマトは頂点であったかもしれない。
コメディー系アニメでは今も続くサザエさんがギネス級の長期連続である。
西部劇・時代劇・活劇番組
 テレビ西部劇も名作が沢山ありました。まず昭和34年〜40年のローハイドでしょう。フランキー・レインが歌った主題歌が大ヒットしました。昭和35年〜38年のララミー牧場も大ヒットでした。チョットワイルドな感じのロバート・フラーがなぜか日本で人気者となりました。そして何といっても人気があったのが昭和34年〜36年のスチーブ・マックィーン主演の賞金稼ぎ拳銃無宿です。短床ライフルでお尋ね者を倒し,その後の切ない顔が印象的であった。ほかにもいろいろあったが,だいたい忘れました。
 テレビ時代劇と言えば昭和38年〜44年の三匹の侍です。丹波哲郎・平幹二郎・長門勇の異色組み合わせが絶妙で,生々しい殺陣と効果音には度胆を抜かれた。昭和40年〜43年の素浪人 月影兵庫はややコメデイータッチの剣の達人でした。近衛十四郎品川隆二の組み合わせがポイントでした。昭和44年からなんと平成23年まで続いた長寿時代劇が『水戸黄門』であったが,勧善懲悪の単純ストーリーは苦手で殆ど見ていない。昭和47年〜48年の必殺仕掛人は少し毛色が異なり,社会性を盛り込んで現代にも通用するようなストーリーで大ヒットした。主演が山村聰・林与一・緒形拳という豪華なメンバーでした。同じ時期の昭和47年〜48年の木枯らし紋次郎も大ヒットした。中村敦夫が極めてクールに主人公を演じた。主題歌も小室等作曲,歌上条恒彦だれかが風の中でこちらも時代劇離れした曲で大ヒットした。
その他時代劇は数限りなくあったが、近年全く不振である。
 活劇系番組だと昭和31年ハイウェイ パトロールというアメリカドラマがあった。無線での連絡と当時の大きなアメリカ車が印象的だった。ルート66というアメリカドラマもあった。アメリカの青年二人が車でRoute66を旅するようなドラマだったと思います。ナット・キング・コールが同名のジャズを歌って日本でもヒットしました(番組とは関係なかったと思う)。逃亡者は冤罪の男性がアメリカを逃げ回るドラマだったと思う。昭和37年コンバットという戦争ドラマがヒットした。舞台はヨーロッパだったと思うが,戦争物は日本は負ける側なので私は敬遠して見なかった。
人形劇
 この分野だと,まず昭和31年〜39年のチロリン村とくるみの木が思い出される。黒柳徹子のピーナッツのピー子や里見京子のクルミのクル子ほか多くのタレントが声出演して歌を交えた構成だった。この分野は,引き続き今も主題歌が有名な昭和39年〜44年ひょっこりひょうたん島坂本九の名ナレーションの昭和48年〜50年新八犬伝,昭和55年〜57年プリンプリン物語など名作が続いた。昭和35年〜42年の着ぐるみ劇ブーフーウーは子供たちに大人気で,今も着ぐるみ劇は継続して幼児に人気である。
教養番組
 この分野はNHKの独壇場である。昭和49年〜50年の未来への遺産は大型の文化遺産取材番組で実に見ごたえがあった。当時この番組で知った文化遺産は沢山あった。昭和55年〜平成元年にかけて放映されたシルクロードは未来への遺産に続く大型取材文化史番組であった。この番組では喜多郎作曲の主題メロディーや石坂浩二のナレーションも素晴らしかった。
1995年〜1996年の新・電子立国は世界に羽ばたく日本の電子技術の紹介解説番組で右肩上がりで元気なころの日本を象徴するような番組であった。2000年〜2005年プロジェクトXも人気の番組であったが最後にヤラセが発覚して終了するという失態を演じてしまったのは本当に残念だ。
最近はNHK−BSで多くの自然紀行番組・文化史番組・登山番組・昭和史番組などなど素晴らしい番組が日々放映されている。この分野は民放の存在感が極めて薄いのは民放の努力と実力の不足で,残念なことある。
                                                              年代はウィキペディアを参照した
最近よく見ているテレビ番組
 定年退職いらいテレビをよく見ているが,最近(今日は2013年12月)よく見ている番組は次のようになります。
朝の6:00〜8:00はNHKのニュースです。続いてNHK朝の連ドラは自宅にいるときは殆ど欠かさず見ています。引き続き朝イチですが,10〜20分間くらいでとりあえず朝のテレビは終わりです。11:30頃からフジTVのニュースを見て正午からは笑っていいとも(2014年終了),13:00からNHKのクイズホールドオン(2014年終了)で一休み。夕方は大相撲があれば17:00頃から必ず見ます。相撲がないときはあっちこっちのニュースを見るともなく見ています。19:00頃は晩ご飯で特によく見る番組はありません。いつも20:30ないし21:30頃でテレビは終了です。いわゆるゴールデンタイムでよく見る番組はありません。
土曜日は昼にメレンゲの気持ちをよく見ます。日曜日は朝のNHKのさわやか自然百景小さな旅をよく見ます。続いてTBSの関口宏のサンデーモーニングを見てます。昼はNHKのど自慢です。
だいたいこんな感じで,それ以外にテレビは無駄につけているが目にしていて実は見ていないような感じです。
スポーツ関連ではサッカー・スケートなどなどの国際試合は気合を入れて見ます。冬は駅伝やマラソンもよく見ます。
テレビ東京のYouは何しに日本に?も面白いが,最近早くもマンネリ感が漂ってきて最後までは見ない場合が多い。
 BSはNHKを中心に結構よく見ています。NHKでは日本の名峰・にっぽん百名山・グレートサミット,グレートトラバース,グレートネイチャー,新日本紀行,コズミックフロンドなどは殆ど欠かさず見ます。BS民放では世界の名画美の巨人たち・絶景百名山もほぼ欠かさず見ています。NHKのプレミアムシアターやBSプレミアムのリクエスト番組も選びながら良く見ています。
だいたいこんな状況です。


テレビ番組に一言

TV局 電波区分 ジャンル 番組名 視聴者の意見(私の意見)
NHK 地デジ 報道番組 クローズアップ現代 番組の顔は国安女史で素晴らしいアンカーをこなしていると思うが,あまりに役が長すぎる。
立派な賞も受賞したのでこの機会にぜひ交代を考えてほしい
どんな主題も見事に対応するので,正直に言ってかなり鼻につき生理的拒絶反応が自然発生する

驚いたことに2015年末も継続しています(人材不足なんですね)!
NHK 地デジ ニュース 土曜日の朝のニュース ・レポーターの入田女史も,いい加減に交代してくれ。 
NHK職員でないと思うが,なぜNHKが彼女に拘るのかが理解できない
甲高い発声・場合によりわざと相手を小ばかにした態度など気分が悪くなるので,いつも音を消して耐えています

お陰様で今は出ていません。
・朝の交通情報は大切だがJR東日本の女性がJR東日本関係だけの情報を説明して,引き続きニュースのキャスターがそれ以外の私鉄や新幹線の情報を説明するのは工夫のないすみ分けである。 
NHK 地デジ コマーシャル コンシェルジュ やはりNHK社員でない***女史をいつまでも使う神経が理解できない このような個性の強い人は長く使ってはいけないという代表例であったが幸い2012年3月でお役ゴメンとなった
NHK 地デジ 天気予報 午後7時のニュース やはりNHK職員ではないと思われるケロケロボイスのお天気キャスター寺川嬢はテレビに出る以上,発声の基本をシッカリ訓練するべき。(→お陰様でやっと民放に移った!) 
NHKには広瀬アナ,加賀美アナといった素晴らしい先輩がいるので,しっかりレクチャー受けて出直しなさい
最近少し良くなったですがまだまだです
スポーツ担当の杉浦友紀アナもケロケロボイスだが大人っぽいのでまあ許しましょう

今は(2017年)担当もすっかり変わりました
TBS  地デジ  ニュースショウ    最近バトミントンで有名人になった人がニュースショウでアナウンスをしているが,これまた鼻から息が抜けるケロケロボイスで困ります。可愛い系の容姿だからといって発声というアナウンサーの基本をマスターしないで番組に使うのは子供じみたやり方です(幸いくだんの彼女は出産で休んでいます)。  ニュース系の番組でもプロデューサーは視聴率ばかりに気を使わず基本を守らなければいけない。
可愛い系だが基本ができている加藤シルビアアナだって,同等に使われて内心頭に来ているはずだ。
TV局全体 地デジ 天気予報 天気予報 天気予報は何よりも予報精度の向上が最大の課題である。
(1)予報が外れたときに,外れた理由を偉そうに説明するのは100%ナンセンス
終わった失敗のいい訳より,精度向上だけをひたすら目指せ
(2)『夕方から雨の可能性があるので折畳み傘をもって行け』とか『少し気温が下がるので一枚多めに着ろ』とか『好天で湿度が低いから洗濯しろ』などなどなど大きなお世話
予報を聞いた我々が自主的に判断することだ!
視聴者を馬鹿にするな
(3)最近NHKでも朝のニュースで,お天気キャスター嬢がわざわざ外に出て手作りの温度計で予想気温を示したりして,民放のまねをしている。 『今朝は冷え込みが強いので私はカイロ3個です』など意味がないうえに不愉快なセリフです。そんなに寒いなら外に出るな!と言いたいです。 そもそも,ちゃんとした気象予報士が控えているのに民放のマネをしてお飾りのような女性予報士自体が不要である
本質的に意味のないやり方
わざわざ真似する価値も必要もない民放のやり方を真似するな
(4)朝テレビを付けると勝手に,画面に住いの都道府県の天気予報が画面に表示される。
地デジではボタンを押せばそのエリアの天気予報が見られるのに,何故画面に強制的に表示するのだ
邪魔だろうが!    
NHK 全て 全般 NHKは有料放送なのでうるさいコマーシャルが無いのがメリットだったはず。
最近はスポット,ニュースの中,・・・コンシェルジュなどなどなど 自社番組の番組宣伝の多いこと
サワリだけ流して “詳しくはBS・・・・で” という流し方はアクドイ民放と変わらない 視聴料を返せ!
NHK BS 全体 NHKのBSで流される紀行物・科学物・歴史物など,豊富な情報と美しい映像そして抑制された説明等々,完成度が高い素晴らしい番組が多い
アーカイブなどで適宜再放送されるのも,貴重な番組を再度みたい視聴者の希望に応え(少しの再放送用の情報追加を含め)良い対応です
民放全体 地デジ ワイドショウ 番組共通 安っぽい芸能人が並んで,もっともらしい安直なコメントをするのを聞くと腹が立ちます。
真剣に考えたうえで,“さすが!  なるほど!” と感心する切り口で一理あるコメントができるなら評価しますが,残念ながらそういうコメンテータはいませんね
あまり頭が良いとは思えない女性芸能人がちょっとしたことで『エエー!』とか『ワアー』とかわざとらしく大声を出すと腹が立ってきます。
出演料というカネを貰って発言するならコメントのプロでなければならない
番組製作者は力量のあるコメンテーターを真剣に探し出す努力を怠ってはいけません
◎政治家や企業者の失言など各局が鬼の首を取ったかのように繰り返し繰り返し,集中豪雨のように流して視聴者を洗脳して良いのか?
例えば一時間の口演で一度口を滑らした失言でも,その失言だけを偉そうに非難・批判するが,失言以外の一時間にどんなに素晴らしい話をしてもそのことには一切触れない,とは大人が取るべき態度ではない
そもそも,その失言以外の一時間をフルにチキンと聞き直す放送関係者はいるのか?
◎事件などでも容疑者に対し無神経に些細なことまで何度もくり返したり,ほんの一部の発言や行動を鬼の首を取ったように悪意を持って強調する!!!
そもそもまだ裁判で有罪と決まったわけではないことを忘れたかのような断定的で偉そうなTV 局の態度!!!
TV局は裁判所ではない
民放全体 地デジ スポーツ 陸上,水上,氷上などなどなど @あの嫌らしい番組の切り方(CMの入れ方)には呆れます。
“驚きの結末はお知らせの後で” とか ”まさにそこでという場面でCM” を入れて,ところがその割にはCM後の続きには全く驚きがない!
CM後に,CM前の画面を再度流すのも本当に視聴者を馬鹿にした不愉快なやり方だ
A一部の選手(特に国内有名選手や海外の著名選手が多い)の動きを,地球がひっくり返るような大騒ぎで司会者が応援する騒がしさ!
B放送時間にあわせて冗長に細工して最後まで無理やり引っ張る構成には,本当にあきれます
C一見 生中継と見せかけての小細工はもう違法行為です!
残った放送時間で結果が予想されるような半生中継番組なんて要らない!
海外スポーツ中継では,今の時代 時差の関係でインターネットで結果は分かっていても,あたかもライブのように独占放送するなんて↓やり方が下劣だ↓
特にフィギュアースケート中継のやり方は本当に悪質でアクドイ
民放全体 全て スポーツ スポーツ中継 以前,民放で有名な某饒舌アナウンサーが一度女子マラソン(オリンピック/世界陸上だったか?)の実況中継をした。
例によって饒舌に話しまくっていたが,レース中盤すぎると有名ランナーの小集団となり脱落サバイバルとなってきた。そのアナは繰り返し繰り返し有名選手たちの状況・逸話などなど話しまくっていたが,その集団にいる某外国(北朝鮮だったか)の有名でない選手のことは一言も触れず終盤に入った。
先頭集団が3,4名に絞られたとき,初めてその饒舌アナはその有名でない選手の名前を口にした
結果は,何とその有名でない選手がトップでゴールした
その後そのしゃべりまくりアナはマラソン中継は二度とやらなかった(これからもやらないであろう)
自分の話に酔ってしまうアナウンサーは失格!という実話例である
民放全体 地デジ ニュース いろいろな番組 一部の女子アナに基本的な発声練習を受けていない素人アナがいる
おでこや脳天から出す声は聞く者の神経を逆なでする
有名な女性スポーツ選手が引退後テレビでアナもどきだが声が鼻から抜けて聞いていて気分が悪くなる。 出産リタイアで喜んだら産後ほどなく復帰してしまった(何ということだ!)
代表例 : 日本テレビの岸田アナウンサーやお天気キャスターの寺川嬢やバトミントンOBの潮田サン
民放全体 BS 民法全体 全般 ・健康食品を中心としたテレビショッピングが異常に多い
こんなものを一日中流すのは電波の垂れ流し テレビ局の猛省を促したい!
視聴者が納得する放送倫理基準は無いのか?
・放送するべき番組が無いときは,一時間でも二時間でも放送を休むことを検討するべきだ
・数少ない興味をそそられる紀行物も軽薄な説明やバカ騒ぎ,コメントが番組のレベルを下げている
制作部門は猛省を!
NHKの番組という良い手本をもっと勉強しましょう!
民放全体  地デジ  コマーシャル  工夫の無いコマーシャル  (1)化粧品や医薬品や健康食品:押しなべてセンスがない
もっともっと考えましょう
もともと美しい人には化粧品も殆ど不要ですよね!
たとえば日馬富士の顔をスベスベにしてニキビ薬のCMに使うのであれば,文句のつけようがないです
(2)頻繁すぎる生命保険,医療保険,自動車保険
よほど儲かっているのだろう
(3)故天野祐吉氏が常に批判していた“15秒コマーシャル
本当に うるさい,バカらしい,ふざけるな,いい加減にしろ!
(4)異常に多い替え歌コマーシャル
製作費が安く,その割に耳に残りやすいからといって安直に使うな
オリジナルに失礼だし,バカみたいなCM歌詞だらけ
民放全体 基本的な放送倫理や放送の質 ◎数年前に,当時時代の寵児となっていたIT企業のH社長がTV局T社の買収を狙った
T社はじめ民放各社は 『報道機関としての社会的責任を全うできる倫理観を持っているとは思えない!』 と猛反発したものだった
◎当時どのTV局も “社会的責任” を声高に主張しても恥ずかしくないだけの番組は殆ど提供していなかったと思うが,この買収騒動が失敗,終了した後で民放テレビ各社が報道機関としての社会的責任を改めて自覚して,提供する情報の質の向上に努めてきたような姿は全く見られない。
◎どのチャンネルを回しても,同じようなメンバーの大差ないコンセプトの物まねマンネリ番組のオンパレードである。 
視聴率至上主義の結果,TV各局の放送内容,番組スタイルがひどく画一化している
◎お笑いバラエテイー局,音楽局,スポーツ局,芸術局,芸能・ゴシップ局,ニュース・解説局などなど番組ジャンル別のTV局に分け直したら?
◎狭い日本に存在するテレビ局数が多すぎるのであろう 存在意味のない番組の垂れ流し電波の無駄遣いである
TV東京 地デジ ・この局は後発局で小規模であることを活かした番組つくりがユニークで,好む好まないは別にして他局に無い個性が感じられる
例えば開運 お宝鑑定団・ 出没 アドマチック天国・Youは何しに日本に?, 終わってしまったテレビチャンピオン などなど独創的で面白い
・この局は,きっと “TV局としての社会的責任” といった上スベリな主張はしないでしょう
・『各種コマーシャルを比較して,低劣なCM・呆れるCM・時代性を捉えたCM・視聴者の心をキャッチするCMなど辛口評論/採点する番組』をこの局に企画してほしいです。
もちろん審査委員長は天野祐吉氏で決まりです(残念ながら昨年鬼籍に入られました)
TV局全体 全て 全体 TV局の再編成を真剣に考える channel-1 準国営放送(NHK)
channel-2 民放総合TV局
channel-3 ニュース・政治・社会・国際・経済など
channel-4 スポーツ中継・健康
channel-5 芸術・古典芸能・映画
channel-6 音楽・娯楽・バラエティー・ワイドショウ・お笑い番組
channel-7 趣味・紀行・科学
NHK 地デジ 茨城県エリア どういう訳か茨城県には独自の地方TV局がない。
個人的には,それはそれでも全く構わないが,困るのはNHK総合チャンネルの一部を勝手に(強制的に)NHK-茨城局に移行することです
夕方の首都圏ネットなど見たい放送も自動的にNHK茨城局に切り替わり,見ることが出来ない
地デジはUHF化したのでサブチャンネル方式により視聴者が選択する方法だって出来るはずだ
チャンネルを選ぶのはNHKではなく我々視聴者です

 どうも肌の合わないテレビタレントたち(100%個人的な好みです)    馬鹿なコマーシャル

男性アナウンサー 徳〇和〇 不自然な挙動 
女性タレント  松〇明〇 イチイチのカメラ目線とオーバーなリアクション
イ〇ア〇 いつまであのメークするの   本当の独り立ちできるのかね?
男性タレント 中〇秀〇 自意識が前面に出過ぎる?  
J系男性アイドル  村〇信〇 生理的に受け付けが困難
横〇U
女性元スポーツ選手 潮〇玲〇 あの鼻に抜ける発声は神経に触る
男性予備校教師 林〇 頭が良いのは充分分かったから,早く予備校に戻ってくれ
男性駅伝監督 原〇 専門外でTVに出すぎ,早く大学の監督に戻ってくれ
男性演歌歌手 五〇ひ〇 大物ぶった態度,  ”どうだ,旨いだろう!”がプンプンする歌い方
男性演歌歌手 細〇た〇 ためすぎた歌い方には閉口する
野球解説者 張〇 意固地すぎて閉口する(唯我独尊)
ハズキルーペ 見ていて恥ずかしくなるくらい低レベルのうえシツコイ
替え歌CM 童謡  日本のヒット曲  外国ヒット曲  クラシック曲  アニメ主題歌  

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