大相撲の世界・歴代横綱決まり手変遷           Homeに戻る

今年(2012年)初場所から茨城県出身の稀勢の里が大関となりました。   武双山や雅山の先輩大関の様に大関昇進後パッとせず,大関陥落ということの無いよう,体重を増やさず更に鍛えて上を目指して貰いたいです。
さて,勤め人時代は土日以外は,なかなかTVの相撲中継を見られなかったが,リタイアした今はほぼ欠かさずTV中継を見ています。
  自分が小学校4年生くらい(1955年頃)から,当時TVを持っていた人の家に相撲中継を見せてもらいに連日お邪魔していました。  その頃,横綱は千代の山鏡里で,暫くして栃錦・若乃花栃若時代が幕を開けた頃は大相撲の人気は頂点に達していました。  1957年頃に我家にもテレビが来たので,大相撲中継は欠かさず中継を見て一層熱心に応援していました。  特に東京出身の栃錦が私の贔屓でしたが,若乃花にはあまり分が良いとは言えなかったですね。
両横綱とも今だと日馬富士より体重が少ないと思うが存在感は格段に大きかった。   二人とも足腰が強かったが特に若の花は土俵に根が張っているような強靭さが素晴らしかった。   栃錦は優勝した翌場所の初日に負けるとあっさりと引退して随分驚きました。   この引き際が江戸っ子横綱の美学なのでしょう。
その後,胸毛が目立つ横綱朝潮が登場,勝ったときの強さと負けたときの脆さが良かったですね。  そして大鵬・柏戸柏鵬時代を迎えました。   『巨人・大鵬・卵焼き』という今なら流行語大賞の言葉になるくらい,強い大鵬は子供達に人気がありました。   私は強く勝ち,脆く負ける横綱を好む傾向があるので,終始柏戸ファンでしたが相撲は圧倒的に大鵬が安定していました。   それでも,その大鵬に唯一互角の勝負をしたのが柏戸でした(通算16勝21敗)。   涙の全勝優勝,泣けましたね!   柏戸,実に良いですねー!
  大横綱双葉山の時代は年二場所であったが,戦後徐々に場所数を増やし1958年から現在の年六場所制に固定された。ちょうど栃若時代から朝潮の時代である。 場所数の増加により新横綱の誕生は増え,優勝回数や連勝記録など大きな数字を記録しやすくなった。 そして2010年に,あわや白鵬双葉山の不滅の69連勝に並ぶかというところまで連勝を伸ばしたが64戦目に稀勢の里に破れ偉大な記録には届かなかった。 優勝回数も2桁を越える横綱も珍しくなくなった。
ところで1972年ハワイ出身の高見山が日本人以外で初の幕内優勝を果たしたが,それ以降大関小錦・横綱・横綱武蔵丸とハワイ出身の巨漢力士が土俵を席巻するようになった。  最近は横綱朝青龍・横綱白鵬・大関日馬富士・・・・と均整のとれたモンゴル出身力士が次々と出てくると同時に大関琴欧州・大関把瑠都など欧州出身の巨体力士も数多い。   まさに大相撲は国際技となっている。   国際技である以上, 弱い日本人大関や日本人横綱に拘る必要は全くない。   ただし伝統のある国技という中心軸は不滅なので,大相撲に憧れてくる外国出身力士を育てる親方の教育責任は従来とは比較にならないくらい非常に広範囲にわたり重くなっていることを親方自身が良く理解しなければならない。
2015年初場所では,ついに白鵬大鵬の記録を破る33回目の優勝を達成した!  この大事な一番の稀勢の里戦で物言いがついて取り直しになったことで,白鵬が大変な失言をしてしまった。  かねてからあまりに出身国差別的な反応に耐えきれぬ気持ちを持っていた様で,その不満は十分理解できる。   しかしあまりに横綱らしからぬ失言であった。   白鵬は大多数の日本人からも心から尊敬されいることを気付いてほしい。 残念ながら最後まで気づかなかった。 数々の偉大な記録を樹立したが,最後まで大横綱と言われることはなかった。
  さて,大関は1958年からの年六場所制と共に三場所連続負け越しで関脇に陥落と決められたが,それに甘える大関が続出したため1969年から二場所連続負け越しでの関脇陥落と陥落直後場所での10勝以上での大関復帰という制度になった。 昨年,引退した元大関魁皇幕内通算1,047勝という大記録を達成したが,この制度の恩恵ナシでは成立しなかったであろう。   例えば “大関は負け越した場合,翌場所10勝以上の場合は陥落せず,陥落直後場所で11勝以上で大関復帰” と少し条件を厳しくするだけで大関陣の目の色は今よりずっと厳しくなると思う。 
   ところで外人力士は皆さん実に日本語が達者で驚きます。   日本語しかしゃべらない部屋の方針が功を奏しているのでしょうか?アメリカに進出している多くの日本人プロ野球選手や多くの国際的な日本人スポーツ選手たちはどれだけ海外で英語でのインタビュー対応ができるのでしょうか?   あれほど立派な成績を残しているイチローは通訳なしで英語で話しているのでしょうね(そうでなかったら井の中の蛙ですね)。
   『江戸の大関より土地の三段目』という言葉もあるように,人生のほとんどが茨城県人の自分としては茨城出身の力士は理屈抜きで応援しています。  稀勢の里 横綱目指して稽古と勉強に励め! 頭が悪くては横綱になれないぞ。   大相撲,双葉山,スポーツ心理学,社会常識・・・・いろいろ勉強してくれ!  親方を失ったので理論派のコーチを採用することを強く勧めます(たとえば舞の海などを参謀として雇ってはどうか)。  2014年初場所は2回目の綱取りと騒がれたが,またまたぶざまに負けを重ねてしまった。 心技体と言われているが,技では立ち合いのゆるさ・さしみの悪さ・腰の高さなどいつまでも解決していない。  は相変わらず緊張に弱い。 小さい体で世界でトップを独走するスキージャンプのサラちゃんや世界トップ1を目指す錦織クンなど世界でも超一流アスリートの若者の心を学ぶため直接話を聞くような努力をしてくれ!
愚直な努力を重ね2016年は年間最多勝,翌17年初場所は悲願の初優勝。ついに第72代横綱に昇進した。更に続く春場所は破竹の12連勝のあと13日目に日馬富士に負けて大怪我,しかし強引に出場を続け千秋楽で大関照ノ富士を本割・決定戦と下し奇跡の優勝を勝ち取った。 何と心が強くなったことか! ありがとう,バンザイ!   しかしながら結局,日馬富士との一番での大怪我が致命傷となり思いもしない短命で終わってしまった。 何としても残念だ!
 2016年初場所は驚いたことに大関琴奨菊が14勝1敗で初優勝を飾った。  栃東が優勝して以来ちょうど10年ぶりの日本出身力士の優勝になったそうだ。  ところで琴奨菊の,あの立ち合いは絶対にまずいです。  制限時間一杯の最後の立ち合いで腕を下ろして一瞬腰を浮かせ立つような動作をするのが癖になっているようだが,相手は一瞬立つかと思い,どうしても一度気を緩める可能性がある。   なによりイケないのは時に腰を上げる動作抜きで実際に立つことがあることだ。   この一連の動作は絶対に守ってもイェローカード,時にこれを抜くのは卑怯でレッドカードである。  解説者や親方,審判などは厳重注意しなければならないはずである。  百歩譲ってこれも本人にはルーティンだとしても早急に止めるべきだ。  最近,栃煌山は立ち合い直前のにじり足をキッパりと止めています。   立ち合いがことのほか重要な相撲では一刻も早く,悪い癖(見苦しい癖・汚い癖・卑怯な癖)は直さなければいけない。     汚い手といえば横綱朝青龍が頻繁に使い,その後おもにモンゴル系の力士が多用するのが張り手である。  相撲協会が定める相撲の83手にはないので技ではないが,横っ面をはたくというのはどう見ても汚い・見苦しい・卑怯な手段と言わざるを得ない。  顔面や首への張り手は反則技にしてほしい。 ところで琴奨菊は2017年初場所は度重なったカド番もついに負け越し大関陥落,翌春場所も9勝どまりで大関復帰ならず。 ケガに負けずに頑張ったが大関復帰できなくて良かった。
 最近大関に昇進後にめっきりもろくなってしまった力士が残念ながら目白押しである。 高安以降でも朝乃山・正代・御嶽海・貴景勝・霧島など軒並み陥落である。 残念ながら陥落後は引退に直結した力士も多いが,正代・御嶽海のように番付上下を繰り返す例も少なくない。  令和4年には初土俵から7場所目の初優勝は紙上最速でした。 さらに9月場所も優勝して丁髷での大関昇進を果たした。 しかし,11月の九州場所では引き技からバタついた取り口で9勝に終った。 二所ノ関親方の更に厳しい指導を受けて大横綱への道目指して堂々と進んで貰いたい。
例によって,以下は横綱に関するデータ表である(ウィキペディアを参照)。   横綱の相撲入りの雲竜型は不知火が,不知火型は雲竜が確立したとは,驚きだ!



歴代横綱

代位 四股名 出身地 横綱昇進 引退 優勝 土俵入り 年寄り 記録 勝率 備考
初代 あかし しがのすけ 宇都宮藩 不明 不明 不明
明石 志賀之助
02代 あやがわ ごろうじ 栃木県 不明 不明 不明
綾川 五郎次
03代 まるやま ごんだざえもん 宮城県 1749年 1749年 不明
丸山 権太左衛門 現役中に死去
04代 たにかぜ かじのすけ 宮城県 1789年11月 1794年11月 21回 63連勝 幕内勝率 実質的な初代横綱[5]
谷風 梶之助 現役中に死去 9割以上
05代 おのがわ きさぶろう 滋賀県 1789年11月 1798年10月 7回 小野川 32連勝 幕内勝率
小野川 喜三郎 9割以上
06代 おうのまつ みどりのすけ 石川県 1828年2月 1835年10月 5回 阿武松 18連勝 文政の三傑
阿武松 緑之助
07代 いなづま らいごろう 茨城県 1829年9月 1839年11月 1回 33連勝 幕内勝率 文政の三傑』,1828年7月に五条家免許
稲妻 雷五郎 9割以上
08代 しらぬい だくえもん 熊本県 1840年11月 1844年1月 1回 16連勝
不知火 諾右衛門
09代 ひでのやま らいごろう 宮城県 1847年9月 1850年3月 6回 秀ノ山 30連勝
秀ノ山 雷五郎
10代 うんりゅう きゅうきち 福岡県 1861年9月 1865年2月 7回 不知火型 追手風 16連勝 実は雲龍が不知火型を確立したらしい
雲龍 久吉
11代 しらぬい こうえもん 熊本県 1863年10月 1869年11月 3回 雲龍型 16連勝 実は不知火が雲龍型を確立したらしい
不知火 光右衛門
12代 じんまく きゅうごろう 島根県 1867年1月 1867年11月 5回 25連勝 幕内勝率 1863年1月に五条家免許
陣幕 久五郎 9割以上
13代 きめんざん たにごろう 岐阜県 1869年2月 1870年11月 7回 23連勝
鬼面山 谷五郎
14代 さかいがわ なみえもん 千葉県 1877年2月 1881年1月 5回 境川 26連勝 1876年2月に五条家免許
境川 浪右エ門
15代 うめがたに とうたろう 福岡県 1884年2月 1885年5月 9回 58連勝 幕内勝率 五条家と吉田司家から同時免許
梅ヶ谷 藤太郎 (1代)/梅ヶ谷 藤太郎 (初代) 9割以上
16代 にしのうみ かじろう 鹿児島県 1890年5月 1896年1月 2回 井筒 14連勝
西ノ海 嘉治郎 (1代)/西ノ海 嘉治郎 (初代)
17代 こにしき やそきち 千葉県 1896年5月 1901年1月 7回 二十山 39連勝
小錦 八十吉 (初代)
18代 おおづつ まんえもん 宮城県 1901年5月 1908年1月 2回 待乳山 20連勝
大砲 万右エ門
19代 ひたちやま たにえもん 茨城県 1903年6月 1914年5月 7回 常陸山型 出羽ノ海 32連勝 幕内勝率 角聖』,優勝回数の内訳は優勝1回,優勝相当6回
常陸山 谷右エ門 9割以上
20代 うめがたに とうたろう 富山県 1903年6月 1915年6月 3回 雲龍型 19連勝
梅ヶ谷 藤太郎 (2代)
21代 わかしま ごんしろう 千葉県 1903年1月 1907年1月 4回 若嶌 35連勝 優勝4回、35連勝は大阪相撲での記録
若嶌 權四郎 大坂相撲
22代 たちやま みねえもん 富山県 1910年6月 1917年1月 11回 不知火型 東関 56連勝 優勝回数の内訳は優勝9回,優勝相当2回
太刀山 峯右エ門
23代 おおきど もりえもん 兵庫県 1913年1月 1914年1月 1回 28連勝 1910年大坂相撲が独断で横綱免許
大木戸 森右エ門 大坂相撲 28連勝は大阪相撲での記録。
24代 おおとり たにごろう 千葉県 1914年6月 1919年5月 2回 雲龍型 宮城野 14連勝
鳳 谷五郎
25代 にしのうみ かじろう 鹿児島県 1915年5月 1917年5月 1回 雲龍型 井筒 14連勝
西ノ海 嘉治郎 (2代)
26代 おおにしき ういちろう 大阪府 1916年5月 1922年1月 5回 雲龍型 28連勝
大錦 卯一郎
27代 とちぎやま もりや 栃木県 1918年2月 1925年5月 9回 雲龍型 春日野 29連勝
栃木山 守也
28代 おおにしき だいごろう 愛知県 1918年5月 1923年1月 6回 雲龍型 11連勝 優勝6回、11連勝は大阪相撲での記録
大錦 大五郎 大坂相撲
29代 みやぎやま ふくまつ 岩手県 1922年2月 1931年3月 2回 雲龍型 芝田山 15連勝 15連勝は大阪相撲での記録
宮城山 福松 大坂相撲
30代 にしのうみ かじろう 鹿児島県 1922年5月 1928年10月 1回 雲龍型 浅香山 14連勝
西ノ海 嘉治郎 (3代)
31代 つねのはな かんいち 岡山県 1924年1月 1930年10月 1回 雲龍型 出羽海 15連勝
常ノ花 寛市
32代 たまにしき さんえもん 高知県 1933年1月 1938年5月 9回 雲龍型 27連勝
玉錦 三右エ門 現役中に死去
33代 むさしやま たけし 神奈川県 1936年1月 1939年5月 1回 雲龍型 出来山 13連勝
武藏山 
34代 みなのがわ とうぞう 茨城県 1937年1月 1942年1月 2回 雲龍型 男女ノ川 16連勝
男女ノ川 登三
35代 ふたばやま さだじ 大分県 1938年1月 1945年11月 12回 雲龍型 時津風 69連勝 伝説になった大横綱,『昭和の角聖』。   年二場所制での69連勝は現代では考えられない桁外れ。  大人物としても有名で引退後も名親方として大相撲を背負ってきた
双葉山 定次
36代 はぐろやま まさじ 新潟県 1942年1月 1953年9月 7回 不知火型 立浪 32連勝
羽黒山 政司
37代 あきのうみ せつお 広島県 1943年1月 1946年11月 1回 雲龍型 藤島 20連勝 双葉山の70連勝を阻んだことが有名だが後に横綱に登りつめた
安藝ノ海 節男
38代 てるくに まんぞう 秋田県 1943年1月 1953年1月 2回 雲龍型 伊勢ヶ濱 17連勝
照國 萬藏
39代 まえだやま えいごろう 愛媛県 1947年11月 1949年10月 1回 雲龍型 高砂 13連勝
前田山 英五郎
40代 あずまふじ きんいち 東京都 1949年1月 1954年9月 6回 雲龍型 錦戸 16連勝 引退後,力道山に誘われてプロレスラーになった
東富士 欽壹
41代 ちよのやま まさのぶ 北海道 1951年9月 1959年1月 6回 雲龍型 九重 16連勝 TVで相撲を見始めた時の横綱。 当時はTVを見せて貰いに,TVを所有する家に毎日お邪魔したものだ
千代の山 雅信
42代 かがみさと きよじ 青森県 1953年3月 1958年1月 4回 雲龍型 鏡里→粂川→立田川 17連勝 チョット太めで強いが,意外とモロイ。 鳴門海とか小兵に負けるのが愛嬌
鏡里 喜代治 →時津風→立田川→二十山
43代 よしばやま じゅんのすけ 北海道 1954年3月 1958年1月 1回 不知火型 吉葉山 14連勝 悲運の横綱といわれ,やはり印象は薄い。不知火型は短命のジンクス
吉葉山 潤之輔 →宮城野
44代 とちにしき きよたか 東京都 1955年1月 1960年5月 10回 雲龍型 春日野 24連勝 栃若時代を築いた名横綱。 若乃花には分が悪かったが私は栃が好きだった  引退後も春日野親方として相撲界を牽引した.
栃錦 清隆
45代 わかのはな かんじ 青森県 1958年3月 1962年3月 10回 雲龍型 二子山 24連勝 強かった!  今なら日馬富士より小兵と思うが,はるかに大きい印象。 引退後も春日野と共に大相撲を背負っていた
若乃花 幹士 (1代)/  若乃花 幹士 (初代) 次場所の番付 →藤島
46代 あさしお たろう 兵庫県 1959年5月 1962年1月 5回 雲龍型 朝潮 12連勝 相撲の美学を体現する横綱だったが安定感は無かった
朝潮 太郎 (3代) →振分→高砂
47代 かしわど つよし 山形県 1961年11月 1969年7月 5回 雲龍型 鏡山 15連勝 朝潮の上を行く相撲の美しさを持った横綱。 もろい面があったが当時無敵の大鵬とただ一人互角に戦えた。 もちろん私は柏戸派
柏戸 剛
48代 たいほう こうき 北海道 1961年11月 1971年5月 32回 雲龍型 大鵬 45連勝 記録破りの負けない大横綱。 これまでのお相撲さんになくハンサムで均整もとれた見栄えの素晴らしい名横綱
大鵬 幸喜
49代 とちのうみ てるよし 青森県 1964年3月 1966年11月 3回 雲龍型 中立 17連勝 小さい身体で頑張った
栃ノ海 晃嘉 →春日野→竹縄
50代 さだのやま しんまつ 長崎県 1965年3月 1968年3月 6回 雲龍型 出羽海 25連勝 理論派の相撲をとる横綱。  やはり見栄えも良かった
佐田の山 晋松 →境川→中立
51代 たまのうみ まさひろ 愛知県 1970年3月 1971年9月 6回 不知火型 19連勝 北の富士と良いライバルであったが,何と急に逝ってしまったのだ!
玉の海 正洋 現役中に死去
52代 きたのふじ かつあき 北海道 1970年3月 1974年7月 1回 雲龍型 井筒 21連勝 現代っ子横綱といわれ,今もカッコが良く相撲解説の歯切れも良い
北の富士 勝昭 →九重→陣幕
53代 ことざくら まさかつ 鳥取県 1973年3月 1974年5月 5回 不知火型 白玉 18連勝 ウバ桜などとも言われたが,最後に急激に強くなったのは不思議だ
琴櫻 傑將 次場所の番付 →佐渡ヶ嶽
54代 わじま ひろし 石川県 1973年7月 1981年3月 14回 雲龍型 花籠 27連勝 黄金の左下手。 下手投げが得意な横綱と言うのは異端ですが強かった
輪島 大士
55代 きたのうみ としみつ 北海道 1974年9月 1985年1月 24回 雲龍型 北の湖 32連勝 負けない北の湖ということで,どちらかというと強い憎まれ役であった
北の湖 敏満
56代 わかのはな かんじ 青森県 1978年7月 1983年1月 4回 雲龍型 若乃花 26連勝 先代が立派過ぎて可哀そう
若乃花 幹士 (2代) →間垣
57代 みえのうみ つよし 三重県 1979年9月 1980年11月 3回 雲龍型 山科 24連勝 最後だけ急激に強くなった不思議な横綱
三重ノ海 剛司 →武蔵川
58代 ちよのふじ みつぐ 北海道 1981年9月 1991年5月 31回 雲龍型 陣幕 53連勝 小結・関脇時代はウルフといわれ,大関・横綱へと一気に駆け上がり大横綱になった
千代の富士 貢 →九重
59代 たかのさと としひで 青森県 1983年9月 1986年1月 4回 不知火型 鳴戸 21連勝 ご存知『おしん横綱』。 筋力は天下一品
隆の里 俊英
60代 ふたはぐろ こうじ 三重県 1986年9月 1987年11月 回/なし 不知火型 13連勝 驚いたことに優勝ナシで横綱になったが優勝ナシですぐ引退,本当に短命だった。 四股名が立派すぎたか?
双羽黒 光司 次場所の番付
61代 ほくとうみ のぶよし 北海道 1987年7月 1992年3月 8回 雲龍型 北勝海 20連勝 千代の富士あっての北勝海
北勝海 信芳 次場所の番付 →八角
62代 おおのくに やすし 北海道 1987年11月 1991年7月 2回 雲龍型 大乃国 19連勝 いまや “スイーツの親方”
大乃国 康 →芝田山
63代 あさひふじ せいや 青森県 1990年9月 1992年1月 4回 不知火型 伊勢ヶ濱 24連勝 青森らしい粘りと柔らかさが特徴
旭富士 正也
64代 あけぼの たろう ハワイ 1993年3月 2001年1月 11回 雲龍型 16連勝 初めての外国人横綱。 いかんせん太りすぎてしまった
 太郎
65代 たかのはな こうじ 東京都 1995年1月 2003年1月 22回 雲龍型 貴乃花 30連勝 平成の名横綱だが,人間的な欠陥は父親譲りか
貴乃花 光司
66代 わかのはな まさる 東京都 1998年7月 2000年3月 5回 不知火型 藤島 14連勝 父親や弟に挟まれて,ある意味逆境の相撲取り
若乃花 勝
67代 むさしまる こうよう ハワイ 1999年7月 2003年11月 12回 雲龍型 武蔵丸 22連勝 曙よりは安定感があったが,気が優しすぎた
武蔵丸 光洋 →振分
68代 あさしょうりゅう あきのり モンゴ 2003年3月 2010年1月 25回 雲龍型 高砂 35連勝 ヒールに徹した強い横綱。   一人横綱で頑張ったが親方に恵まれず人間的成長を置き去りにして横綱になり,不名誉な引退に追い込まれた。   この横綱は張り手という悪手を定着させた。 最近の大関・横綱達が真似るのはイケマセン
朝青龍 明徳
69代 はくほう しょう モンゴル 2007年7月 2021年
9月
40回 不知火型 宮城野 63連勝 朝青龍を反面教師に,模範的横綱として頑張っていた.。  不知火型としては初めての大横綱でも,双葉山の69連勝を破るのはやめてくれ。 立会いに両足を斜に構えるとか多すぎる張り手やエルボーブロックは横綱らしくないです。 大鵬の偉大な優勝記録を遂に越えた  大相撲のあらゆる記録を書き換えた。  晩年は土俵や土俵外で色々と物議をかもした。 
白鵬 翔
70代  はるまふじ こうへい モンゴル 2012年11月 2017年11月  9回 不知火型 伊勢ケ濱  31連勝   横綱昇進3場所前は千秋楽にやっと勝ち越し。 翌場所から2場所連続全勝は立派だが,かなり引っかかるところの残る昇進だ
日馬富士 公平
 71代 かくりゅう りきさぶろう モンゴル 2013年3月 2021年
3月
6回 雲竜型 井筒 OneChanceを確実にものにするのがモンゴル勢の強さ。 2場所前から急に勝ちだしたのは70代と同じで,不安の残る昇進だ 闘志の出ない顔でかなり損をしている
鶴竜 力三郎
72代 きせのさと ゆたか 茨城県 2017年3月 2019年
1月
2回 雲竜型 鳴門 2017年初場所でついに初優勝,前年の年間最多勝もあり若乃花以来の日本の横綱に。 続く春場所は13日に大怪我,怪我をおしての土俵で奇跡の逆転で連続優勝。 その後休場続きで引退に追い込まれた。 日馬富士との一番での大怪我が致命傷になった
稀勢の里 寛 田子ノ浦
73代  てるのふじ はるお モンゴル 2021年
7月
現役 4回 不知火型 伊勢ケ濱 膝の大怪我で序二段まで陥落したが,見事に復活して横綱に昇進した精神力は誰も真似ることはできない。 これからも怪我に気を付けて立派な大横綱を目指してほしい。 両ひざの大きなサポーターには首をかしげざるを得ない。
照ノ富士 春雄



                      横綱昇進直後場所の成績

代目  横綱名 成績 
71代目 鶴竜  9勝6敗 
70代目  日馬富士  9勝6敗
69代目  白鵬 11勝4敗 
68代目  朝青竜  10勝5敗
67代目  武蔵丸  12勝3敗
66代目  若乃花  10勝5敗
65代目  貴乃花  13勝2敗 優勝
64代目 曙   10勝5敗
63代目  旭富士  13勝2敗
 62代目 大乃国   8勝7敗
 61代目 北勝海   11勝4敗
 60代目  双羽黒  3勝4敗8休
 59代目  隆の里  15勝全勝優勝
58代目 千代の富士   1勝2敗12休


幕内決まり手変遷  (朝日新聞 2013.12.14より)
1973年 1993年 2013年
平均体重 124.0kg 平均体重 157.3kg 平均体重 162.4kg
全取組数 1,604番 全取組数 1,738番 全取組数 1,832番
 横綱 北の富士・琴桜・輪島   横綱 曙   横綱 白鵬・日馬富士 
 大関 貴ノ花・清国・大麒麟・大受  大関   貴ノ花・若ノ花・小錦  大関 稀勢の里・ 
1 寄り切り 427番(26.6%)  1 寄り切り 551番(31.7%)  1 寄り切り 505番(27.6%)
2 押し出し 205番(12.8%)  2 押し出し 297番(17.1%)  2 押し出し 384番(21.0%)
 3 上手投げ 126番(7.9%)  3 上手投げ 131番(7.5%)  3 はたき込み 148番(8.1%)
 4 つり出し 95番(5.9%)  4 はたき込み  108番(6.2%)  4 突き落とし 113番(6.2%)
 4 はたき込み 95番(5.9%)  5 寄り倒し 85番(4.9%)  5 上手投げ 102番(5.6%)
 6 突き落とし 87番(5.4%)  6 突き落とし  69番(4.0%)  6 引き落とし 69番(3.8%)
 7 寄り倒し 67番(4.2%)  7 下手投げ 64番(3.7%)  7 押し倒し 64番(3.5%)
 8 突き出し 61番(3.8%)  8 送り出し 55番(3.2%)  8 すくい投げ 63番(3.4%)
9 すくい投げ 57番(3.6%)  9 すくい投げ 48番(2.8%)  9 寄り倒し 58番(3.2%)
 10 下手投げ 54番(3.4%)  10 押し倒し 46番(2.6%)  10 突き出し 53番(2.9%)
 11 引き落とし 53番(3.3%)  11 引き落とし 43番(2.5%)  11 送り出し 44番(2.4%)
 12 外掛け 36番(2.2%)  12 小手投げ 42番(2.4%)  12 小手投げ 40番(2.2%)
 12 押し倒し 36番(2.2%)