今年(2012年)初場所から茨城県出身の稀勢の里が大関となりました。 武双山や雅山の先輩大関の様に大関昇進後パッとせず,大関陥落ということの無いよう,体重を増やさず更に鍛えて上を目指して貰いたいです。 |
さて,勤め人時代は土日以外は,なかなかTVの相撲中継を見られなかったが,リタイアした今はほぼ欠かさずTV中継を見ています。 |
自分が小学校4年生くらい(1955年頃)から,当時TVを持っていた人の家に相撲中継を見せてもらいに連日お邪魔していました。 その頃,横綱は千代の山と鏡里で,暫くして栃錦・若乃花の栃若時代が幕を開けた頃は大相撲の人気は頂点に達していました。 1957年頃に我家にもテレビが来たので,大相撲中継は欠かさず中継を見て一層熱心に応援していました。 特に東京出身の栃錦が私の贔屓でしたが,若乃花にはあまり分が良いとは言えなかったですね。 |
両横綱とも今だと日馬富士より体重が少ないと思うが存在感は格段に大きかった。 二人とも足腰が強かったが特に若の花は土俵に根が張っているような強靭さが素晴らしかった。 栃錦は優勝した翌場所の初日に負けるとあっさりと引退して随分驚きました。 この引き際が江戸っ子横綱の美学なのでしょう。 |
その後,胸毛が目立つ横綱朝潮が登場,勝ったときの強さと負けたときの脆さが良かったですね。 そして大鵬・柏戸の柏鵬時代を迎えました。 『巨人・大鵬・卵焼き』という今なら流行語大賞の言葉になるくらい,強い大鵬は子供達に人気がありました。 私は強く勝ち,脆く負ける横綱を好む傾向があるので,終始柏戸ファンでしたが相撲は圧倒的に大鵬が安定していました。 それでも,その大鵬に唯一互角の勝負をしたのが柏戸でした(通算16勝21敗)。 涙の全勝優勝,泣けましたね! 柏戸,実に良いですねー! |
大横綱双葉山の時代は年二場所であったが,戦後徐々に場所数を増やし1958年から現在の年六場所制に固定された。ちょうど栃若時代から朝潮の時代である。 場所数の増加により新横綱の誕生は増え,優勝回数や連勝記録など大きな数字を記録しやすくなった。 そして2010年に,あわや白鵬が双葉山の不滅の69連勝に並ぶかというところまで連勝を伸ばしたが64戦目に稀勢の里に破れ偉大な記録には届かなかった。 優勝回数も2桁を越える横綱も珍しくなくなった。 |
ところで1972年ハワイ出身の高見山が日本人以外で初の幕内優勝を果たしたが,それ以降大関小錦・横綱曙・横綱武蔵丸とハワイ出身の巨漢力士が土俵を席巻するようになった。 最近は横綱朝青龍・横綱白鵬・大関日馬富士・・・・と均整のとれたモンゴル出身力士が次々と出てくると同時に大関琴欧州・大関把瑠都など欧州出身の巨体力士も数多い。 まさに大相撲は国際技となっている。 国際技である以上, 弱い日本人大関や日本人横綱に拘る必要は全くない。 ただし伝統のある国技という中心軸は不滅なので,大相撲に憧れてくる外国出身力士を育てる親方の教育責任は従来とは比較にならないくらい非常に広範囲にわたり重くなっていることを親方自身が良く理解しなければならない。 |
2015年初場所では,ついに白鵬が大鵬の記録を破る33回目の優勝を達成した! この大事な一番の稀勢の里戦で物言いがついて取り直しになったことで,白鵬が大変な失言をしてしまった。 かねてからあまりに出身国差別的な反応に耐えきれぬ気持ちを持っていた様で,その不満は十分理解できる。 しかしあまりに横綱らしからぬ失言であった。 白鵬は大多数の日本人からも心から尊敬されいることを気付いてほしい。 残念ながら最後まで気づかなかった。 数々の偉大な記録を樹立したが,最後まで大横綱と言われることはなかった。 |
さて,大関は1958年からの年六場所制と共に三場所連続負け越しで関脇に陥落と決められたが,それに甘える大関が続出したため1969年から二場所連続負け越しでの関脇陥落と陥落直後場所での10勝以上での大関復帰という制度になった。 昨年,引退した元大関魁皇が幕内通算1,047勝という大記録を達成したが,この制度の恩恵ナシでは成立しなかったであろう。 例えば “大関は負け越した場合,翌場所10勝以上の場合は陥落せず,陥落直後場所で11勝以上で大関復帰” と少し条件を厳しくするだけで大関陣の目の色は今よりずっと厳しくなると思う。 |
ところで外人力士は皆さん実に日本語が達者で驚きます。 日本語しかしゃべらない部屋の方針が功を奏しているのでしょうか?アメリカに進出している多くの日本人プロ野球選手や多くの国際的な日本人スポーツ選手たちはどれだけ海外で英語でのインタビュー対応ができるのでしょうか? あれほど立派な成績を残しているイチローは通訳なしで英語で話しているのでしょうね(そうでなかったら井の中の蛙ですね)。 |
『江戸の大関より土地の三段目』という言葉もあるように,人生のほとんどが茨城県人の自分としては茨城出身の力士は理屈抜きで応援しています。 稀勢の里 横綱目指して稽古と勉強に励め! 頭が悪くては横綱になれないぞ。 大相撲,双葉山,スポーツ心理学,社会常識・・・・いろいろ勉強してくれ!
親方を失ったので理論派のコーチを採用することを強く勧めます(たとえば舞の海などを参謀として雇ってはどうか)。 2014年初場所は2回目の綱取りと騒がれたが,またまたぶざまに負けを重ねてしまった。 心技体と言われているが,技では立ち合いのゆるさ・さしみの悪さ・腰の高さなどいつまでも解決していない。 心は相変わらず緊張に弱い。 小さい体で世界でトップを独走するスキージャンプのサラちゃんや世界トップ1を目指す錦織クンなど世界でも超一流アスリートの若者の心を学ぶため直接話を聞くような努力をしてくれ! 愚直な努力を重ね2016年は年間最多勝,翌17年初場所は悲願の初優勝。ついに第72代横綱に昇進した。更に続く春場所は破竹の12連勝のあと13日目に日馬富士に負けて大怪我,しかし強引に出場を続け千秋楽で大関照ノ富士を本割・決定戦と下し奇跡の優勝を勝ち取った。 何と心が強くなったことか! ありがとう,バンザイ! しかしながら結局,日馬富士との一番での大怪我が致命傷となり思いもしない短命で終わってしまった。 何としても残念だ! |
2016年初場所は驚いたことに大関琴奨菊が14勝1敗で初優勝を飾った。 栃東が優勝して以来ちょうど10年ぶりの日本出身力士の優勝になったそうだ。 ところで琴奨菊の,あの立ち合いは絶対にまずいです。 制限時間一杯の最後の立ち合いで腕を下ろして一瞬腰を浮かせ立つような動作をするのが癖になっているようだが,相手は一瞬立つかと思い,どうしても一度気を緩める可能性がある。 なによりイケないのは時に腰を上げる動作抜きで実際に立つことがあることだ。 この一連の動作は絶対に守ってもイェローカード,時にこれを抜くのは卑怯でレッドカードである。 解説者や親方,審判などは厳重注意しなければならないはずである。 百歩譲ってこれも本人にはルーティンだとしても早急に止めるべきだ。 最近,栃煌山は立ち合い直前のにじり足をキッパりと止めています。 立ち合いがことのほか重要な相撲では一刻も早く,悪い癖(見苦しい癖・汚い癖・卑怯な癖)は直さなければいけない。 汚い手といえば横綱朝青龍が頻繁に使い,その後おもにモンゴル系の力士が多用するのが張り手である。 相撲協会が定める相撲の83手にはないので技ではないが,横っ面をはたくというのはどう見ても汚い・見苦しい・卑怯な手段と言わざるを得ない。 顔面や首への張り手は反則技にしてほしい。 ところで琴奨菊は2017年初場所は度重なったカド番もついに負け越し大関陥落,翌春場所も9勝どまりで大関復帰ならず。 ケガに負けずに頑張ったが大関復帰できなくて良かった。 |
最近大関に昇進後にめっきりもろくなってしまった力士が残念ながら目白押しである。 高安以降でも朝乃山・正代・御嶽海・貴景勝・霧島など軒並み陥落である。 残念ながら陥落後は引退に直結した力士も多いが,正代・御嶽海のように番付上下を繰り返す例も少なくない。 令和4年には初土俵から7場所目の初優勝は紙上最速でした。 さらに9月場所も優勝して丁髷での大関昇進を果たした。 しかし,11月の九州場所では引き技からバタついた取り口で9勝に終った。 二所ノ関親方の更に厳しい指導を受けて大横綱への道目指して堂々と進んで貰いたい。 |
例によって,以下は横綱に関するデータ表である(ウィキペディアを参照)。 横綱の相撲入りの雲竜型は不知火が,不知火型は雲竜が確立したとは,驚きだ! |
代位 | 四股名 | 出身地 | 横綱昇進 | 引退 | 優勝 | 土俵入り | 年寄り | 記録 | 勝率 | 備考 |
初代 | あかし しがのすけ | 宇都宮藩 | 不明 | 不明 | 不明 | |||||
明石 志賀之助 | ||||||||||
02代 | あやがわ ごろうじ | 栃木県 | 不明 | 不明 | 不明 | |||||
綾川 五郎次 | ||||||||||
03代 | まるやま ごんだざえもん | 宮城県 | 1749年 | 1749年 | 不明 | |||||
丸山 権太左衛門 | 現役中に死去 | |||||||||
04代 | たにかぜ かじのすけ | 宮城県 | 1789年11月 | 1794年11月 | 21回 | 63連勝 | 幕内勝率 | 実質的な初代横綱[5] | ||
谷風 梶之助 | 現役中に死去 | 9割以上 | ||||||||
05代 | おのがわ きさぶろう | 滋賀県 | 1789年11月 | 1798年10月 | 7回 | 小野川 | 32連勝 | 幕内勝率 | ||
小野川 喜三郎 | 9割以上 | |||||||||
06代 | おうのまつ みどりのすけ | 石川県 | 1828年2月 | 1835年10月 | 5回 | 阿武松 | 18連勝 | 『文政の三傑』 | ||
阿武松 緑之助 | ||||||||||
07代 | いなづま らいごろう | 茨城県 | 1829年9月 | 1839年11月 | 1回 | 33連勝 | 幕内勝率 | 『文政の三傑』,1828年7月に五条家免許 | ||
稲妻 雷五郎 | 9割以上 | |||||||||
08代 | しらぬい だくえもん | 熊本県 | 1840年11月 | 1844年1月 | 1回 | 湊 | 16連勝 | |||
不知火 諾右衛門 | ||||||||||
09代 | ひでのやま らいごろう | 宮城県 | 1847年9月 | 1850年3月 | 6回 | 秀ノ山 | 30連勝 | |||
秀ノ山 雷五郎 | ||||||||||
10代 | うんりゅう きゅうきち | 福岡県 | 1861年9月 | 1865年2月 | 7回 | 不知火型 | 追手風 | 16連勝 | 実は雲龍が不知火型を確立したらしい | |
雲龍 久吉 | ||||||||||
11代 | しらぬい こうえもん | 熊本県 | 1863年10月 | 1869年11月 | 3回 | 雲龍型 | 湊 | 16連勝 | 実は不知火が雲龍型を確立したらしい | |
不知火 光右衛門 | ||||||||||
12代 | じんまく きゅうごろう | 島根県 | 1867年1月 | 1867年11月 | 5回 | 25連勝 | 幕内勝率 | 1863年1月に五条家免許 | ||
陣幕 久五郎 | 9割以上 | |||||||||
13代 | きめんざん たにごろう | 岐阜県 | 1869年2月 | 1870年11月 | 7回 | 23連勝 | ||||
鬼面山 谷五郎 | ||||||||||
14代 | さかいがわ なみえもん | 千葉県 | 1877年2月 | 1881年1月 | 5回 | 境川 | 26連勝 | 1876年2月に五条家免許 | ||
境川 浪右エ門 | ||||||||||
15代 | うめがたに とうたろう | 福岡県 | 1884年2月 | 1885年5月 | 9回 | 雷 | 58連勝 | 幕内勝率 | 五条家と吉田司家から同時免許 | |
梅ヶ谷 藤太郎 (1代)/梅ヶ谷 藤太郎 (初代) | 9割以上 | |||||||||
16代 | にしのうみ かじろう | 鹿児島県 | 1890年5月 | 1896年1月 | 2回 | 井筒 | 14連勝 | |||
西ノ海 嘉治郎 (1代)/西ノ海 嘉治郎 (初代) | ||||||||||
17代 | こにしき やそきち | 千葉県 | 1896年5月 | 1901年1月 | 7回 | 二十山 | 39連勝 | |||
小錦 八十吉 (初代) | ||||||||||
18代 | おおづつ まんえもん | 宮城県 | 1901年5月 | 1908年1月 | 2回 | 待乳山 | 20連勝 | |||
大砲 万右エ門 | ||||||||||
19代 | ひたちやま たにえもん | 茨城県 | 1903年6月 | 1914年5月 | 7回 | 常陸山型 | 出羽ノ海 | 32連勝 | 幕内勝率 | 『角聖』,優勝回数の内訳は優勝1回,優勝相当6回 |
常陸山 谷右エ門 | 9割以上 | |||||||||
20代 | うめがたに とうたろう | 富山県 | 1903年6月 | 1915年6月 | 3回 | 雲龍型 | 雷 | 19連勝 | ||
梅ヶ谷 藤太郎 (2代) | ||||||||||
21代 | わかしま ごんしろう | 千葉県 | 1903年1月 | 1907年1月 | 4回 | 若嶌 | 35連勝 | 優勝4回、35連勝は大阪相撲での記録 | ||
若嶌 權四郎 | 大坂相撲 | |||||||||
22代 | たちやま みねえもん | 富山県 | 1910年6月 | 1917年1月 | 11回 | 不知火型 | 東関 | 56連勝 | 優勝回数の内訳は優勝9回,優勝相当2回 | |
太刀山 峯右エ門 | ||||||||||
23代 | おおきど もりえもん | 兵庫県 | 1913年1月 | 1914年1月 | 1回 | 湊 | 28連勝 | 1910年大坂相撲が独断で横綱免許 | ||
大木戸 森右エ門 | 大坂相撲 | 28連勝は大阪相撲での記録。 | ||||||||
24代 | おおとり たにごろう | 千葉県 | 1914年6月 | 1919年5月 | 2回 | 雲龍型 | 宮城野 | 14連勝 | ||
鳳 谷五郎 | ||||||||||
25代 | にしのうみ かじろう | 鹿児島県 | 1915年5月 | 1917年5月 | 1回 | 雲龍型 | 井筒 | 14連勝 | ||
西ノ海 嘉治郎 (2代) | ||||||||||
26代 | おおにしき ういちろう | 大阪府 | 1916年5月 | 1922年1月 | 5回 | 雲龍型 | 28連勝 | |||
大錦 卯一郎 | ||||||||||
27代 | とちぎやま もりや | 栃木県 | 1918年2月 | 1925年5月 | 9回 | 雲龍型 | 春日野 | 29連勝 | ||
栃木山 守也 | ||||||||||
28代 | おおにしき だいごろう | 愛知県 | 1918年5月 | 1923年1月 | 6回 | 雲龍型 | 11連勝 | 優勝6回、11連勝は大阪相撲での記録 | ||
大錦 大五郎 | 大坂相撲 | |||||||||
29代 | みやぎやま ふくまつ | 岩手県 | 1922年2月 | 1931年3月 | 2回 | 雲龍型 | 芝田山 | 15連勝 | 15連勝は大阪相撲での記録 | |
宮城山 福松 | 大坂相撲 | |||||||||
30代 | にしのうみ かじろう | 鹿児島県 | 1922年5月 | 1928年10月 | 1回 | 雲龍型 | 浅香山 | 14連勝 | ||
西ノ海 嘉治郎 (3代) | ||||||||||
31代 | つねのはな かんいち | 岡山県 | 1924年1月 | 1930年10月 | 1回 | 雲龍型 | 出羽海 | 15連勝 | ||
常ノ花 寛市 | ||||||||||
32代 | たまにしき さんえもん | 高知県 | 1933年1月 | 1938年5月 | 9回 | 雲龍型 | 27連勝 | |||
玉錦 三右エ門 | 現役中に死去 | |||||||||
33代 | むさしやま たけし | 神奈川県 | 1936年1月 | 1939年5月 | 1回 | 雲龍型 | 出来山 | 13連勝 | ||
武藏山 武 | ||||||||||
34代 | みなのがわ とうぞう | 茨城県 | 1937年1月 | 1942年1月 | 2回 | 雲龍型 | 男女ノ川 | 16連勝 | ||
男女ノ川 登三 | ||||||||||
35代 | ふたばやま さだじ | 大分県 | 1938年1月 | 1945年11月 | 12回 | 雲龍型 | 時津風 | 69連勝 | 伝説になった大横綱,『昭和の角聖』。 年二場所制での69連勝は現代では考えられない桁外れ。 大人物としても有名で引退後も名親方として大相撲を背負ってきた | |
双葉山 定次 | ||||||||||
36代 | はぐろやま まさじ | 新潟県 | 1942年1月 | 1953年9月 | 7回 | 不知火型 | 立浪 | 32連勝 | ||
羽黒山 政司 | ||||||||||
37代 | あきのうみ せつお | 広島県 | 1943年1月 | 1946年11月 | 1回 | 雲龍型 | 藤島 | 20連勝 | 双葉山の70連勝を阻んだことが有名だが後に横綱に登りつめた | |
安藝ノ海 節男 | ||||||||||
38代 | てるくに まんぞう | 秋田県 | 1943年1月 | 1953年1月 | 2回 | 雲龍型 | 伊勢ヶ濱 | 17連勝 | ||
照國 萬藏 | ||||||||||
39代 | まえだやま えいごろう | 愛媛県 | 1947年11月 | 1949年10月 | 1回 | 雲龍型 | 高砂 | 13連勝 | ||
前田山 英五郎 | ||||||||||
40代 | あずまふじ きんいち | 東京都 | 1949年1月 | 1954年9月 | 6回 | 雲龍型 | 錦戸 | 16連勝 | 引退後,力道山に誘われてプロレスラーになった | |
東富士 欽壹 | ||||||||||
41代 | ちよのやま まさのぶ | 北海道 | 1951年9月 | 1959年1月 | 6回 | 雲龍型 | 九重 | 16連勝 | TVで相撲を見始めた時の横綱。 当時はTVを見せて貰いに,TVを所有する家に毎日お邪魔したものだ | |
千代の山 雅信 | ||||||||||
42代 | かがみさと きよじ | 青森県 | 1953年3月 | 1958年1月 | 4回 | 雲龍型 | 鏡里→粂川→立田川 | 17連勝 | チョット太めで強いが,意外とモロイ。 鳴門海とか小兵に負けるのが愛嬌 | |
鏡里 喜代治 | →時津風→立田川→二十山 | |||||||||
43代 | よしばやま じゅんのすけ | 北海道 | 1954年3月 | 1958年1月 | 1回 | 不知火型 | 吉葉山 | 14連勝 | 悲運の横綱といわれ,やはり印象は薄い。不知火型は短命のジンクス | |
吉葉山 潤之輔 | →宮城野 | |||||||||
44代 | とちにしき きよたか | 東京都 | 1955年1月 | 1960年5月 | 10回 | 雲龍型 | 春日野 | 24連勝 | 栃若時代を築いた名横綱。 若乃花には分が悪かったが私は栃が好きだった 引退後も春日野親方として相撲界を牽引した. | |
栃錦 清隆 | ||||||||||
45代 | わかのはな かんじ | 青森県 | 1958年3月 | 1962年3月 | 10回 | 雲龍型 | 二子山 | 24連勝 | 強かった! 今なら日馬富士より小兵と思うが,はるかに大きい印象。 引退後も春日野と共に大相撲を背負っていた | |
若乃花 幹士 (1代)/ 若乃花 幹士 (初代) | 次場所の番付 | →藤島 | ||||||||
46代 | あさしお たろう | 兵庫県 | 1959年5月 | 1962年1月 | 5回 | 雲龍型 | 朝潮 | 12連勝 | 相撲の美学を体現する横綱だったが安定感は無かった | |
朝潮 太郎 (3代) | →振分→高砂 | |||||||||
47代 | かしわど つよし | 山形県 | 1961年11月 | 1969年7月 | 5回 | 雲龍型 | 鏡山 | 15連勝 | 朝潮の上を行く相撲の美しさを持った横綱。 もろい面があったが当時無敵の大鵬とただ一人互角に戦えた。 もちろん私は柏戸派 | |
柏戸 剛 | ||||||||||
48代 | たいほう こうき | 北海道 | 1961年11月 | 1971年5月 | 32回 | 雲龍型 | 大鵬 | 45連勝 | 記録破りの負けない大横綱。 これまでのお相撲さんになくハンサムで均整もとれた見栄えの素晴らしい名横綱 | |
大鵬 幸喜 | ||||||||||
49代 | とちのうみ てるよし | 青森県 | 1964年3月 | 1966年11月 | 3回 | 雲龍型 | 中立 | 17連勝 | 小さい身体で頑張った | |
栃ノ海 晃嘉 | →春日野→竹縄 | |||||||||
50代 | さだのやま しんまつ | 長崎県 | 1965年3月 | 1968年3月 | 6回 | 雲龍型 | 出羽海 | 25連勝 | 理論派の相撲をとる横綱。 やはり見栄えも良かった | |
佐田の山 晋松 | →境川→中立 | |||||||||
51代 | たまのうみ まさひろ | 愛知県 | 1970年3月 | 1971年9月 | 6回 | 不知火型 | 19連勝 | 北の富士と良いライバルであったが,何と急に逝ってしまったのだ! | ||
玉の海 正洋 | 現役中に死去 | |||||||||
52代 | きたのふじ かつあき | 北海道 | 1970年3月 | 1974年7月 | 1回 | 雲龍型 | 井筒 | 21連勝 | 現代っ子横綱といわれ,今もカッコが良く相撲解説の歯切れも良い | |
北の富士 勝昭 | →九重→陣幕 | |||||||||
53代 | ことざくら まさかつ | 鳥取県 | 1973年3月 | 1974年5月 | 5回 | 不知火型 | 白玉 | 18連勝 | ウバ桜などとも言われたが,最後に急激に強くなったのは不思議だ | |
琴櫻 傑將 | 次場所の番付 | →佐渡ヶ嶽 | ||||||||
54代 | わじま ひろし | 石川県 | 1973年7月 | 1981年3月 | 14回 | 雲龍型 | 花籠 | 27連勝 | 黄金の左下手。 下手投げが得意な横綱と言うのは異端ですが強かった | |
輪島 大士 | ||||||||||
55代 | きたのうみ としみつ | 北海道 | 1974年9月 | 1985年1月 | 24回 | 雲龍型 | 北の湖 | 32連勝 | 負けない北の湖ということで,どちらかというと強い憎まれ役であった | |
北の湖 敏満 | ||||||||||
56代 | わかのはな かんじ | 青森県 | 1978年7月 | 1983年1月 | 4回 | 雲龍型 | 若乃花 | 26連勝 | 先代が立派過ぎて可哀そう | |
若乃花 幹士 (2代) | →間垣 | |||||||||
57代 | みえのうみ つよし | 三重県 | 1979年9月 | 1980年11月 | 3回 | 雲龍型 | 山科 | 24連勝 | 最後だけ急激に強くなった不思議な横綱 | |
三重ノ海 剛司 | →武蔵川 | |||||||||
58代 | ちよのふじ みつぐ | 北海道 | 1981年9月 | 1991年5月 | 31回 | 雲龍型 | 陣幕 | 53連勝 | 小結・関脇時代はウルフといわれ,大関・横綱へと一気に駆け上がり大横綱になった | |
千代の富士 貢 | →九重 | |||||||||
59代 | たかのさと としひで | 青森県 | 1983年9月 | 1986年1月 | 4回 | 不知火型 | 鳴戸 | 21連勝 | ご存知『おしん横綱』。 筋力は天下一品 | |
隆の里 俊英 | ||||||||||
60代 | ふたはぐろ こうじ | 三重県 | 1986年9月 | 1987年11月 | 回/なし | 不知火型 | 13連勝 | 驚いたことに優勝ナシで横綱になったが優勝ナシですぐ引退,本当に短命だった。 四股名が立派すぎたか? | ||
双羽黒 光司 | 次場所の番付 | |||||||||
61代 | ほくとうみ のぶよし | 北海道 | 1987年7月 | 1992年3月 | 8回 | 雲龍型 | 北勝海 | 20連勝 | 千代の富士あっての北勝海 | |
北勝海 信芳 | 次場所の番付 | →八角 | ||||||||
62代 | おおのくに やすし | 北海道 | 1987年11月 | 1991年7月 | 2回 | 雲龍型 | 大乃国 | 19連勝 | いまや “スイーツの親方” | |
大乃国 康 | →芝田山 | |||||||||
63代 | あさひふじ せいや | 青森県 | 1990年9月 | 1992年1月 | 4回 | 不知火型 | 伊勢ヶ濱 | 24連勝 | 青森らしい粘りと柔らかさが特徴 | |
旭富士 正也 | ||||||||||
64代 | あけぼの たろう | ハワイ | 1993年3月 | 2001年1月 | 11回 | 雲龍型 | 曙 | 16連勝 | 初めての外国人横綱。 いかんせん太りすぎてしまった | |
曙 太郎 | ||||||||||
65代 | たかのはな こうじ | 東京都 | 1995年1月 | 2003年1月 | 22回 | 雲龍型 | 貴乃花 | 30連勝 | 平成の名横綱だが,人間的な欠陥は父親譲りか | |
貴乃花 光司 | ||||||||||
66代 | わかのはな まさる | 東京都 | 1998年7月 | 2000年3月 | 5回 | 不知火型 | 藤島 | 14連勝 | 父親や弟に挟まれて,ある意味逆境の相撲取り | |
若乃花 勝 | ||||||||||
67代 | むさしまる こうよう | ハワイ | 1999年7月 | 2003年11月 | 12回 | 雲龍型 | 武蔵丸 | 22連勝 | 曙よりは安定感があったが,気が優しすぎた | |
武蔵丸 光洋 | →振分 | |||||||||
68代 | あさしょうりゅう あきのり | モンゴル | 2003年3月 | 2010年1月 | 25回 | 雲龍型 | 高砂 | 35連勝 | ヒールに徹した強い横綱。 一人横綱で頑張ったが親方に恵まれず人間的成長を置き去りにして横綱になり,不名誉な引退に追い込まれた。 この横綱は張り手という悪手を定着させた。 最近の大関・横綱達が真似るのはイケマセン | |
朝青龍 明徳 | ||||||||||
69代 | はくほう しょう | モンゴル | 2007年7月 | 2021年 9月 |
40回 | 不知火型 | 宮城野 | 63連勝 | 朝青龍を反面教師に,模範的横綱として頑張っていた.。 不知火型としては初めての大横綱でも,双葉山の69連勝を破るのはやめてくれ。 立会いに両足を斜に構えるとか多すぎる張り手やエルボーブロックは横綱らしくないです。 大鵬の偉大な優勝記録を遂に越えた 大相撲のあらゆる記録を書き換えた。 晩年は土俵や土俵外で色々と物議をかもした。 | |
白鵬 翔 | ||||||||||
70代 | はるまふじ こうへい | モンゴル | 2012年11月 | 2017年11月 | 9回 | 不知火型 | 伊勢ケ濱 | 31連勝 | 横綱昇進3場所前は千秋楽にやっと勝ち越し。 翌場所から2場所連続全勝は立派だが,かなり引っかかるところの残る昇進だ | |
日馬富士 公平 | ||||||||||
71代 | かくりゅう りきさぶろう | モンゴル | 2013年3月 | 2021年 3月 |
6回 | 雲竜型 | 井筒 | OneChanceを確実にものにするのがモンゴル勢の強さ。 2場所前から急に勝ちだしたのは70代と同じで,不安の残る昇進だ 闘志の出ない顔でかなり損をしている | ||
鶴竜 力三郎 | ||||||||||
72代 | きせのさと ゆたか | 茨城県 | 2017年3月 | 2019年 1月 |
2回 | 雲竜型 | 鳴門 | 2017年初場所でついに初優勝,前年の年間最多勝もあり若乃花以来の日本の横綱に。 続く春場所は13日に大怪我,怪我をおしての土俵で奇跡の逆転で連続優勝。 その後休場続きで引退に追い込まれた。 日馬富士との一番での大怪我が致命傷になった | ||
稀勢の里 寛 | 田子ノ浦 | |||||||||
73代 | てるのふじ はるお | モンゴル | 2021年 7月 |
現役 | 4回 | 不知火型 | 伊勢ケ濱 | 膝の大怪我で序二段まで陥落したが,見事に復活して横綱に昇進した精神力は誰も真似ることはできない。 これからも怪我に気を付けて立派な大横綱を目指してほしい。 両ひざの大きなサポーターには首をかしげざるを得ない。 | ||
照ノ富士 春雄 | ||||||||||
横綱昇進直後場所の成績
代目 | 横綱名 | 成績 |
71代目 | 鶴竜 | 9勝6敗 |
70代目 | 日馬富士 | 9勝6敗 |
69代目 | 白鵬 | 11勝4敗 |
68代目 | 朝青竜 | 10勝5敗 |
67代目 | 武蔵丸 | 12勝3敗 |
66代目 | 若乃花 | 10勝5敗 |
65代目 | 貴乃花 | 13勝2敗 優勝 |
64代目 | 曙 | 10勝5敗 |
63代目 | 旭富士 | 13勝2敗 |
62代目 | 大乃国 | 8勝7敗 |
61代目 | 北勝海 | 11勝4敗 |
60代目 | 双羽黒 | 3勝4敗8休 |
59代目 | 隆の里 | 15勝全勝優勝 |
58代目 | 千代の富士 | 1勝2敗12休 |
1973年 | 1993年 | 2013年 | |||||||||
平均体重 | 124.0kg | 平均体重 | 157.3kg | 平均体重 | 162.4kg | ||||||
全取組数 | 1,604番 | 全取組数 | 1,738番 | 全取組数 | 1,832番 | ||||||
横綱 | 北の富士・琴桜・輪島 | 横綱 | 曙 | 横綱 | 白鵬・日馬富士 | ||||||
大関 | 貴ノ花・清国・大麒麟・大受 | 大関 | 貴ノ花・若ノ花・小錦 | 大関 | 稀勢の里・ | ||||||
1 | 寄り切り | 427番(26.6%) | 1 | 寄り切り | 551番(31.7%) | 1 | 寄り切り | 505番(27.6%) | |||
2 | 押し出し | 205番(12.8%) | 2 | 押し出し | 297番(17.1%) | 2 | 押し出し | 384番(21.0%) | |||
3 | 上手投げ | 126番(7.9%) | 3 | 上手投げ | 131番(7.5%) | 3 | はたき込み | 148番(8.1%) | |||
4 | つり出し | 95番(5.9%) | 4 | はたき込み | 108番(6.2%) | 4 | 突き落とし | 113番(6.2%) | |||
4 | はたき込み | 95番(5.9%) | 5 | 寄り倒し | 85番(4.9%) | 5 | 上手投げ | 102番(5.6%) | |||
6 | 突き落とし | 87番(5.4%) | 6 | 突き落とし | 69番(4.0%) | 6 | 引き落とし | 69番(3.8%) | |||
7 | 寄り倒し | 67番(4.2%) | 7 | 下手投げ | 64番(3.7%) | 7 | 押し倒し | 64番(3.5%) | |||
8 | 突き出し | 61番(3.8%) | 8 | 送り出し | 55番(3.2%) | 8 | すくい投げ | 63番(3.4%) | |||
9 | すくい投げ | 57番(3.6%) | 9 | すくい投げ | 48番(2.8%) | 9 | 寄り倒し | 58番(3.2%) | |||
10 | 下手投げ | 54番(3.4%) | 10 | 押し倒し | 46番(2.6%) | 10 | 突き出し | 53番(2.9%) | |||
11 | 引き落とし | 53番(3.3%) | 11 | 引き落とし | 43番(2.5%) | 11 | 送り出し | 44番(2.4%) | |||
12 | 外掛け | 36番(2.2%) | 12 | 小手投げ | 42番(2.4%) | 12 | 小手投げ | 40番(2.2%) | |||
12 | 押し倒し | 36番(2.2%) | − | − |