テレビ放送にひとこと ・ 私のテレビ視聴史             Homeに戻る

TV局 電波区分 ジャンル 番組名 視聴者の意見(私の意見)
NHK 地デジ 報道番組 クローズアップ現代 番組の顔は国安女史で素晴らしいアンカーをこなしていると思うが,あまりに役が長すぎる。
立派な賞も受賞したのでこの機会にぜひ交代を考えてほしい
どんな主題も見事に対応するので,正直に言ってかなり鼻につき生理的拒絶反応が自然発生する
NHK 地デジ ニュース 土曜日の朝のニュース レポーターの入田女史も,いい加減に交代してくれ。 
NHK職員でないと思うが,なぜNHKが彼女に拘るのかが理解できない
甲高い発声・場合によりわざと相手を小ばかにした態度など気分が悪くなるので,いつも音を消して耐えています
NHK 地デジ コマーシャル コンシェルジュ やはりNHK社員でない***女史をいつまでも使う神経が理解できない このような個性の強い人は長く使ってはいけないという代表例であったが幸い2012年3月でお役ゴメンとなった
NHK 地デジ 天気予報 午後7時のニュース やはりNHK職員ではないと思われるケロケロボイスのお天気キャスター寺川嬢はテレビに出る以上,発声の基本をシッカリ訓練するべき。 
NHKには広瀬アナ,加賀美アナといった素晴らしい先輩がいるので,しっかりレクチャー受けて出直しなさい
最近少し良くなったですがまだまだです
スポーツ担当の杉浦友紀アナもケロケロボイスだが大人っぽいのでまあ許しましょう
TV局全体 地デジ 天気予報 天気予報 天気予報は何よりも予報精度の向上が最大の課題である。
(1)予報が外れたときに,外れた理由を偉そうに説明するのは100%ナンセンス
終わった失敗のいい訳より,精度向上だけをひたすら目指せ
(2)『夕方から雨の可能性があるので折畳み傘をもって行け』とか『少し気温が下がるので一枚多めに着ろ』とか『好天で湿度が低いから洗濯しろ』などなどなど大きなお世話だ
予報を聞いた我々が自主的に判断することだ!
視聴者を馬鹿にするな
(3)最近NHKでも朝のニュースで,お天気キャスター嬢がわざわざ外に出て手作りの温度計で予想気温を示したりして,民放のまねをしている。
本質的に意味のないやり方だ
わざわざ真似する価値も必要もない民放のやり方を真似するな
(4)朝テレビを付けると勝手に,画面に住いの都道府県の天気予報が画面に表示される。
地デジではボタンを押せばそのエリアの天気予報が見られるのに,何故画面に強制的に表示するのだ
邪魔だろうが     
NHK 全て 全般 NHKは有料放送なのでうるさいコマーシャルが無いのがメリットだったはず。
最近はスポット,ニュースの中,・・・コンシェルジュなどなどなど 自社番組の番組宣伝の多いこと
サワリだけ流して “詳しくはBS・・・・で” という流し方はアクドイ民放と変わらない 視聴料を返せ!
NHK BS 全体 NHKのBSで流される紀行物・科学物・歴史物など,豊富な情報と美しい映像そして抑制された説明等々,完成度が高い素晴らしい番組が多い
アーカイブなどで適宜再放送されるのも,貴重な番組を再度みたい視聴者の希望に応え(少しの再放送用の情報追加を含め)良い対応です
民放全体 地デジ ワイドショウ 番組共通 ◎安っぽい芸能人が並んで,もっともらしい安直なコメントをするのを聞くと腹が立ちます。
真剣に考えたうえで,“さすが!  なるほど!” と感心する切り口で一理あるコメントができるなら評価しますが,残念ながらそういうコメンテータはいませんね
出演料というカネを貰って発言するならコメントのプロでなければならない
番組製作者は力量のあるコメンテーターを真剣に探し出す努力を怠ってはいけません
◎政治家や企業者の失言など各局が鬼の首を取ったかのように繰り返し繰り返し,集中豪雨のように流して視聴者を洗脳して良いのか?
例えば一時間の口演で一度口を滑らした失言でも,その失言だけを偉そうに非難・批判するが,失言以外の一時間にどんなに素晴らしい話をしてもそのことには一切触れない,とは大人が取るべき態度ではない
そもそも,その失言以外の一時間をチキンと聞き直す放送関係者はいるのか?
◎事件などでも容疑者に対し無神経に些細なことまで何度もくり返したり,ほんの一部の発言や行動を鬼の首を取ったように悪意を持って強調する!!!
そもそもまだ裁判で有罪と決まったわけではないことを忘れたかのような断定的で偉そうなTV 局の態度!!!
TV局は裁判所ではない
民放全体 地デジ スポーツ 陸上,水上,氷上などなどなど ①あの嫌らしい番組の切り方(CMの入れ方)には呆れます。
“驚きの結末はお知らせの後で” とか ”まさにそこでという場面でCM” を入れて,ところがその割にはCM後の続きには全く驚きがない!
CM後に,CM前の画面を再度流すのも本当に視聴者を馬鹿にした不愉快なやり方だ
②一部の選手(特に国内有名選手や海外の著名選手が多い)の動きを,地球がひっくり返るような大騒ぎで応援する騒がしさ!
③放送時間にあわせて冗長に細工して最後まで無理やり引っ張る構成には,本当にあきれます
④一見 生中継と見せかけての小細工はもう違法行為です!
残った放送時間で結果が予想されるような半生中継番組なんて要らない!
海外スポーツ中継では,今の時代 時差の関係でインターネットで結果は分かっていても,あたかもライブのように独占放送するなんて↓
フィギュアースケートやバレーボール中継で多いです
民放全体 全て スポーツ スポーツ中継 以前,民放で有名な饒舌アナウンサーが一度女子マラソン(オリンピックだったか?)の実況中継をした。
例によって饒舌に話しまくっていたが,レース中盤すぎると有名ランナーの小集団となり脱落サバイバルとなってきた
そのアナは繰り返し繰り返し有名選手たちの状況・逸話などなど話しまくっていたが,その集団にいる某外国(北朝鮮だったか)の有名でない選手のことは一言も触れず終盤に入った。
先頭集団が3,4名に絞られたとき,初めてそのアナはその有名でない選手の名前を口にした
結果は,何とその有名でない選手がトップでゴールした
その後そのしゃべまくりアナはマラソン中継は二度とやらなかった(これからもやらないであろう)
自分の話に酔ってしまうアナウンサーは失格!という実話例である
民放全体 地デジ ニュース いろいろな番組 一部の女子アナに基本的な発声練習を受けていない素人アナがいる
おでこや脳天から出す声は聞く者の神経を逆なでする
代表例:日本テレビの岸田アナウンサー
民放全体 BS 民法全体 全般 ・健康食品を中心としたテレビショッピングが異常に多い
こんなものを一日中流すのは電波の垂れ流し テレビ局の猛省を促したい!
放送倫理基準は無いのか?
・放送するべき番組が無いときは,一時間でも二時間でも放送を休むことを勧めたい
・数少ない興味をそそられる紀行物も軽薄な説明,コメントが番組のレベルを下げている
制作部門は猛省を!
NHKの放送という良い手本をもっと勉強しましょう!
民放全体 地デジ コマーシャル 工夫の無いコマーシャル (1)化粧品や医薬品や健康食品:押しなべてセンスがない。
もっともっと考えましょう
もともと美しい人には化粧品も殆ど不要ですよね!
たとえば日馬富士の顔をスベスベにしてニキビ薬のCMに使うのであれば,文句のつけようがないです
(2)頻繁すぎる生命保険,医療保険,自動車保険
よほど儲かっているのだろう
(3)天野祐吉氏が常に批判する“15秒コマーシャル”
本当に うるさい,バカらしい,ふざけるな,いい加減にしろ!
民放全体 基本的な放送倫理や放送の質 ◎数年前に,当時時代の寵児となっていたIT企業のH社長がTV局T社の買収を狙った
T社はじめ民放各社は 『報道機関としての社会的責任を全うできる倫理観を持っているとは思えない!』 と猛反発したものだった
◎当時も “社会的責任” を声高に主張しても恥ずかしくないだけの番組は殆ど提供していなかったと思うが,この買収騒動が失敗,終了した後で民放テレビ各社が報道機関としての社会的責任を改めて自覚して,提供する情報の質の向上に努めてきたような姿は全く見られない。
◎どのチャンネルを回しても,同じようなメンバーの大差ないコンセプトの物まねマンネリ番組のオンパレードである。 
視聴率至上主義の結果,TV各局の放送内容,番組スタイルがひどく画一化している
◎お笑いバラエテイー局,音楽局,スポーツ局,芸術局,芸能・ゴシップ局,ニュース・解説局などなど番組ジャンル別のTV局に分け直したら?
◎狭い日本に存在するテレビ局数が多すぎるのであろう 存在意味のない番組の垂れ流しは電波の無駄遣いである
TV東京 地デジ ・この局は後発局で小規模であることを活かした番組つくりがユニークで,好む好まないは別にして他局に無い個性が感じられる
例えば『開運 お宝鑑定団』・ 『出没 アドマチック天国』・『Youは何しに日本に?』, 終わってしまった『テレビチャンピオン』 などなど独創的で面白い
・この局は,きっと “TV局としての社会的責任” といった上スベリな主張はしないでしょう
・『各種コマーシャルを比較して,低劣なCM・呆れるCM・時代性を捉えたCM・視聴者の心をキャッチするCMなど辛口評論/採点する番組』をこの局に企画してほしいです。
もちろん審査委員長は天野祐吉氏で決まりです
TV局全体 全て 全体 TV局の再編成を真剣に考える channel-1 準国営放送(NHK)
channel-2 民放総合TV局
channel-3 ニュース・政治・社会・国際・経済など
channel-4 スポーツ中継・健康
channel-5 芸術・古典芸能・映画
channel-6 音楽・娯楽・バラエティー・ワイドショウ・お笑い番組
channel-7 趣味・紀行・科学
NHK 地デジ 茨城県エリア どういう訳か茨城県には独自の地方TV局がない。
個人的には,それはそれでも構わないが,困るのはNHK総合チャンネルの一部を勝手に(強制的に)NHK-茨城局に移行することです
夕方の『首都圏ネット』など見たい放送も自動的にNHK茨城局に切り替わり,見ることが出来ない
地デジはUHF化したのでサブチャンネル方式により視聴者が選択する方法だって出来るはずだ
チャンネルを選ぶのはNHKではなく我々視聴者です
私のテレビ番組聴取の歴史

我が家にテレビが入ったのは昭和31年秋でした。家族が某電機メーカーに勤めていたこともあり,一般の家庭より若干早めであったと思います。
セットが終わりスイッチを入れると,たしか秋の六大学野球の早慶戦の中継が映り家族で歓声をあげました。
まだNHKと日本テレビの2チャンネルの時代だったと思います。
以来,テレビは今に至るまで結構よく見てきたので自分のテレビ視聴の歴史を振り返ってみる。
スポーツ番組
スポーツ中継は当時も最も人気を集めた番組で大相撲やプロレス・プロボクシング・プロ野球などかなり熱心に見ていました。
 プロレスは力道山が全盛期で,昭和32~33年鉄人ルー・テーズとの試合で手に汗を握って真剣に見ていました。今はすっかりショー化してしまったプロレスも当時は結構真剣勝負で,その分観客は興奮しながら応援したものです。
 プロ野球は川上哲治の時代で代名詞の弾丸ライナーから次第にテキサスの哲と言われるような時期でした。しばらくして,あの長嶋そして続いて王と素晴らしい選手が登場しました。長嶋の昭和33年のデビューでの国鉄スワローズの金田による4打席4三振は生でTV中継を見ました。一方,王はピッチャーで入団したがなかなか成果で出ず,すぐに打者に転向し,フラミンゴ打法を完成して”世界の王”と言われるようになった。当時のジャイアンツにはエースのジョーこと城之内・悪童堀内・八時半の男宮田など記憶に残る投手たち,篠塚・土井・末次・森・国松・柴田などすごい野手がそろっており奇跡的なV9を達成した。最近は米国メジャーリーグへの移籍が相次ぎ、TVのプロ野球中継もめっきり少なくなったし,たまの中継も殆ど見ないようになった。
 プロボクシングでは白井義男の世界タイトルマッチが印象深いです。昭和27年のタド・マリノからの王座獲得はTVで見た記憶がないが,昭和29年の防衛戦で手の長いパスカル・ペレスに負け,当時のルールのリターンマッチでもまた負けてしまった試合は特に印象的です。その後,矢尾板選手とか海老原選手とかフライ級に素晴らしいボクサーを輩出したがタイのポーン・キングビッチにリターンマッチで敗戦というような未消化な対戦が繰り返された。昭和37年ころにフライ級にファイテイング原田というボクサーでてきた。手数は多いがあまり才能は無いな思っていたが,なんと昭和38年に日本の宿敵ポーン・キングビッチを完璧に倒してしまった。3ヵ月後にリターンマッチで敗れ,体重増でバンタム級に移った。このころバンタム級には別名『ロープ際の魔術師』ことジョー・メデルという日本の宿敵のボクサーがいて,ことごとく日本人ボクサーをマットに沈めた。原田もあっさりKOされた。ところが上には上がいるもので,当時このクラスにはジョー・メデルが敵わない偉大なチャンピオンが君臨していた。”黄金のバンタム”と称賛されていたエデル・ジョフレである。世界ランクを上げた原田が昭和40年この偉大なチャンピオンに挑戦すると,大方の予想に反しこのチャンピオンを破ってしまった。原田ほどのボクサーはその後しばらく出てこなかった。
昭和50年代に入るとライトフライ級に具志堅用高というボクサーが登場した。具志堅は昭和51年にわずか9戦目で当時無敵のチャンピオンでヘビー級チャンピオンのフォアマンに匹敵する”リトル・フォアマン”とも呼ばれていたファン・グスマンを鮮やかにマットに沈めた。その後13回連続で世界防衛した日本歴代最強のチャンピオンであった。ほかにも藤猛・輪島コウイチ・ガッツ石松・など伝説に残るボクサーもいた。野球同様ボクシングもTV中継が少なくなったうえに様々な協会団体が多くの階級を設定して世界チャンピオンの大安売りになってしまった。
 相撲については『大相撲の世界』のページに記載した。
さてオリンピック・サッカーワールドカップ・世界陸上・世界水泳などなど国際的なスポーツイベントは年中TV中継されており,高い視聴率を得ています。
やはり日本選手が活躍する場面を見たいのでフィギュアースケート・スピードスケート・サッカー・体操・水泳・陸上などをよく見る一方,成績がいまいち振るわないスキージャンプ(特に男子)・バレーボール・陸上トラック/フィールド・卓球などは敬遠しがちです。
意外なのはマラソンや駅伝のTV中継です。画面的には長時間にわたり変化の少ない画面が続くが,不思議と視聴者を捉える力があります。
正月の箱根駅伝などは二日間にわたり学生たちの長距離リレーを日本中の人がずっと見入っている(もちろん自分も)。
臨場感あふれる場面,筋書きのないドラマ,一発勝負の緊張感など応援する立場で生中継を視聴しているとスポーツ中継は本当に面白いです。
 ところでスポーツ中継で,実況アナウンサーが視聴者を置いてけぼりにする大騒ぎ中継とか生中継もどきの加工映像とかプロアマ野球中継での決まり文句の説明にあふれる解説とか見ていてうんざりします。
ニュース・解説番組など
 テレビでのホットなニュースは新聞が敵わない分野です。百聞は一見にしかずというほどではないにしても音声と画像という2感を捉えるメディアの威力と言えます。ただ最近インターネットからの情報が豊富になり即時性については既にテレビは追い越されている。
 ニュースの臨場性が確立されたのは,あの昭和47年の浅間山荘事件でしょう。会社から帰ると,延々と山荘突入へのドラマのような状況が延々と中継され,我々も野次馬根性丸出しで延々と見入ったものでした。
 それ以上に驚いたのは昭和38年日本初の衛星放送TVで,いきなりケネディ大統領の暗殺が映された時でした。当時は暗殺画面は放映されず,臨時ニュースとして現地の日本人アナウンサーが言葉で説明を繰り返していました。
 同様に昭和44年アームストロング船長が人類初の月面着地の同時中継は,ぼんやけた映像で動作がかろうじて見分けられる程度の画像でしたが,何といっても同時中継の持つ圧倒的な迫力です。このころ西山氏を中心とする同時翻訳という技能がTVで注目されたものです。
 NHKのアナウンサーが退職して民放に移るのは,木島則夫氏が民放で昭和39~43年『木島則夫のモーニングショウ』というワイドショウというスタイルのニュースをショウ化した新しい番組を始めたのが最初かもしれません。
引き続き小川宏アナウンサーがよりショウに近い昭和40年~57年『小川宏ショウ』を始め,どちらも朝の仕事を一段落つけた主婦たちの人気を集めた。ワイドショウ/ニュースショウというスタイルの番組は今も続いているが,どれも亜流で単に放送局の余分の時間帯を埋めるというもので,使う古されたタレントを安直なコメンテーターと称して安っぽい発言をするために雁首を並べている。テレビ局の真価が問われていると自覚するべきだ。
音楽・バラエティー番組など
 音楽バラエティーは目と耳を使う大変TV向きなジャンルだと思う。このジャンルではNHKなら昭和36~41年『夢で逢いましょう』,民放では昭和33年~35年『光子の窓』と昭和36年~47年『シャボン玉ホリデー』が真っ先に思い浮かぶ。
 『夢逢』は黒柳徹子・渥美清・E.H.エリック…といった芸達者なタレント達のコント,作曲家の中村八大・作詞家の永六輔のコンビと西田佐知子・坂本九・坂本スミ子・梓みちよ・九重佑三子・デュ-クエイセスなどなど多彩な歌手による歌など実に面白い番組だった。北島三郎が歌ってヒットした『帰ろかな』は,たしか最初は『夢逢』でまだ若かった渥美清が歌っていたと記憶する。『上を向いて歩こう』・『こんにちは赤ちゃん』などなど多くの名曲が生まれた。
『光子の窓』は今も俳優として現役の草笛光子が司会役の音楽バラエティー。
その後を継いだのがザ・ピーナッツが司会役の『シャボン玉ホリデー』だ。シャボン玉ではザ・ピーナッツが本格的な歌とダンスのパフォーマンスを繰り広げたしデビュー間もないクレイジ-・キャッツの様々なコントが本当に面白く毎週日曜日の夕方が待ち遠しかった。
 ベストテン型の音楽番組も一時期人気を集めたが今は殆ど影を失ってしまった。このジャンルの頂点は黒柳徹子と久米宏が司会の昭和53年~平成元年『ザ・ベストテン』であろう。
 クラシック系では作曲家黛敏郎が司会の昭和39年~継続中『題名のない音楽会』が根強い人気を得ていた。この番組は出光興産提供で今も継続している。
 昭和40年頃にNHKが昭和38年~60年『あなたのメロデイー』という番組を放送していた。視聴者が作詞作曲した楽曲をプロの歌手たちが実際に歌い,曲の優劣を競う番組であった。ときに素人が作ったと思えない斬新な曲が登場した。トワエモアが歌った『空よ』や弦哲也が歌った『与作』などは代表的な作品である。与作はのちに北島三郎が歌って大ヒットした。
NHKで昭和36年~継続中なのが『みんなの歌』である。良い曲が多数あるがちあきなおみが歌った『さとうきび畑』は特に印象深い。その他『山口さんちのツトム君』・『北風小僧の貫太郎』・『切手のない贈り物』・・・数えきれない!
お笑い・娯楽番組など
 お笑い番組で最初に浮かぶのは一龍齋貞鳳・三遊亭小金馬・江戸屋猫八のトリオで繰り広げた昭和31年~41年『お笑い三人組』です。
民放では昭和34年~39年の『おとなの漫画』は青島幸雄らが作った風刺寸劇をクレージーキャッツが演じた非常に個性的な番組でした。
昭和37年~43年『てなもんや三度笠』は関西系の全国的ヒット番組であった。
その後欽ちゃんの一連の番組に続き,ザ・ドリフターズの昭和44年~60年『8時だよ!全員集合』が子供達を中心に大人も含めた国民的大ヒット番組になった。
 昭和40年に『金曜夜席』という落語家の番組が始まった。立川談志が司会役で『大喜利』というコーナーは圓楽や歌丸が小粋な会話や気の利いたセリフを駆使する非常に面白いもので,私はすぐはまってしまった。昭和41年には,今に続く日曜夕方の『笑点』になった。その後司会が何代も変わり,大喜利メンバーも全て変わったが,今も人気の番組である(私は司会役の圓楽が交代した以降は全く見ていない)。
 昭和55年~61年に『お笑い スター誕生』という素人芸人のオーディション番組があった。この番組からは漫才の”おぼん・こぼん”,コントの”とんねるず”,形態模写の”コロッケ”などなど今も活躍する数々のお笑いスターが誕生した
 昭和38年~53年はウクレレ漫談の牧真二が司会の『大正テレビ寄席』が人気を集めた。
 昭和57年からウィークデイの昼にタモリが司会の『森田一義アワー 笑っていいとも!』が始まった。昼間からおふざけのお笑い番組はダメだろうとの予想に反し,ギネスにも載る長寿番組になった。ひとえにタモリの多才さ/人柄によるものであるが,平成26年3月をもって番組終了となるそうだ。
クイズ・クイズショウ番組など
 クイズショウ番組といえば,まずNHKの昭和31年~42年『私の秘密』です。高橋圭三の軽妙な司会と渡辺紳一郎・藤原あきら解答者との駆け引きで視聴者が持つ秘密を当てる番組で,絶大な人気を誇っていた。
 昭和32年~38年には『私だけが知っている』という推理バラエティーがあった。司会役は,なんと徳川夢声でした。
昭和38年~43年には小川宏アナウンサーで『ジェスチャー』という番組が人気だった。芸能人が参加して,視聴者が寄せた短い文章をジェスチャーで男女対抗で当てあう番組で白組の柳家金語楼・紅組の水の江瀧子の両キャプテンの絶妙さが人気の元でした。
 昭和44年~平成3年にはジェスチャーを引き継ぐ番組『連想ゲーム』が人気だった。やはり紅白戦で白の加藤芳郎,赤の水沢アキの時代が頂点でした。
これらNHKのクイズ系番組は司会と参加者との軽妙な掛合いを楽しむ面が強かったと思う。
 この頃,民放では『クイズ タイムショック』『アップダウンクイズ』『ダイビングクイズ』少し遅れて『パネルクイズアタック25』といった視聴者参加のクイズ番組が視聴率を競っていた。タイムショックの司会は,何と田宮二郎でした。アタック25はもちろん児玉清の司会でした。
 NHKの視聴者参加クイズでは昭和37年~45年に『シャープさん・フラットさん』という音楽クイズ番組が人気だった。この番組のイントロクイズを発展させたのが昭和51年~63年の『クイズ・ドレミファドン』でした。今も時々イントロクイズがあります。
関西系では買い物・・・とか新婚さん・・・といった番組もあるが,好みが違うので私は殆ど見ていない。
 昭和52年から不定期で『アメリカ横断ウルトラクイズ』という視聴者参加のクイズ番組がある。当初は本格的クイズマニアが超難問に挑戦してハイレベルの知識を競う番組であったが,繰り返すに従いバラエティー的なコンセプトが色濃くなり,今は全く見ません。
 最近は回答者にも似たような顔ぶれの芸人/タレントたちが雁首を揃えるショウ化された類似の番組がいくつもあって完全に食傷気味である。
ドラマ番組
 最初にテレビが見られるようになった時によく見たのはワイズミュラーが主演した『ジャングル・ジム』である。いわゆるターザンものでワイズミュラーはアメリカの水泳金メダリストだったと記憶する。共演したチンパンジーも有名になった。このターザンは野生人ではなく、あくまでジャングルにすむ野生の文明人でした。
 日本のテレビドラマとしては昭和33年にフランキー堺主演の『私は貝になりたい』が出色のドラマであった。まだ戦後という言葉が死語になっていない時代のドラマで一般兵の戦争責任が問われるという理不尽なストーリーが我々の胸を激しく打った。
このころNHKでは連続ホームドラマ『バス通り裏』昭和33年~38年が多くの人に視聴されていた。十朱幸代が本当に初々しい。佐藤英夫や荒木一郎などなどが何気ない毎日の風景を帯ドラマとして演じていた。中原美沙緒が歌う主題歌が毎日多くの家庭で流れていた。
 民放では昭和32年~34年に『赤胴鈴之助』が放送され我々子供たちの人気を集めた。何といっても,あの吉永小百合のテレビデビュー番組です。
同じく昭和35年~36年に『怪傑ハリマオ』が人気だったが,私は全く見ていなかったので当然中身の記憶は全くない。