私達一般大衆にとっての『雑学:仏教の世界』 ひろさちや著『日本語になった仏教のことば』より
私も日本人ですので『仏教の世界』も普通の一般大衆の立場での常識とされるところを纏めてみようと思い,アチコチの出典からの写し書で”雑学倶楽部”の一文として書きました。倶楽部なので不正確な内容や表現も多いと思うがそのつもりで見て下さい。
仏教は,約2,500年前インドで釈迦が提唱した宗教で,キリスト教・イスラム教・ヒンドウー教など世界に広がる宗教のひとつであり,特に東アジアを中心に多くの民衆に信仰されている。
釈迦は,当時の民族的な伝統宗教の枠を超えた全宇宙的真理を求め修行を続け,最終的に辿り着いた境地が仏教信仰の基礎となっている。釈迦は文字/文章を残さなかったので,弟子たちがその教えを民衆に伝えるため様々な解釈を教義にまとめ広く大衆に伝えられて,中国などを経由してわが国に伝わった。この間,様々な民族宗教の影響や儒学などの影響を受けながら多くの高僧により精緻化・細分化され複雑な一つの宗教体系が形作られた。私達一般大衆には,無形の理念/概念を信仰することは容易でないことから,曼荼羅や仏像など可視化された具体的な対象をつくり,これを祈ることで真理/概念に一歩でも近づくことが出来るように洗練(民衆化)されてきた。特に日本では伝統的な既存の神道とも影響し合い,独自の世界観を持つものとして日本人の間に広く伝わってきたが,こんにち必ずしも信仰という強い宗教形態を有しているとは言えない。むしろ仏教は親族の葬儀や仏事をつかさどる儀式のようなもので,自分は無宗教であると思っている日本人が多いといわれている。しかしながら一方で,多くの日本人の心の奥底には非常に強い生命観・宇宙観として意外としっかりと根付いているようにも思える。
釈迦とは,梵名シャーキャ,パーリ語本名ゴータマ・シッダッタで,”釈迦族の聖者=釈迦牟尼(しゃかむに)”の略といわれている。わが国では仏陀・お釈迦様・仏様・世尊・釈迦如来など様々な呼ばれ方をしている。小乗仏教(上座部仏教)では釈迦如来を唯一の仏として厳しい戒律の下で信仰されてきたが,仏教がアジアの中部から東部へ伝わるにつれ,苦の中にある全ての生き物を救う観点に基づき大乗仏教として様々な如来・菩薩へと仏界の広がりを生むと共に民衆化をバネに発展を続けた。一方インドでは次第に勢力を伸ばすヒンドウー教と対抗するように大日如来を中心とする密教世界観を示す曼荼羅を生み出しながら発展した。この大乗仏教及び密教が絡み合った形で中国を経由して日本へと仏教が伝播されるに至ったとされている。
大乗仏教/密教が受け入れられている日本には多くの仏がいるが,それら仏様にも位があり,悟りを開いた最高位の仏を如来という。更に如来に準ずるものを菩薩という。更にその下に明王・天部が続き,更に宗祖などの実在の高僧までも仏と呼ばれている。
『如来』は悟りを開いて仏となった最高位の修行者で,わが国では釈迦如来・大日如来・阿弥陀如来・薬師如来をもって四如来と称されている
釈迦如来は釈迦本人を称するだけでなく十法(東西南北,四隅,上下)三世(過去・現在・未来)の無量の諸仏の一仏で,仏が現世の人々の前に現れた姿であるとも言われる。
大日如来は,大日経の胎蔵曼荼羅の主であり,金剛頂経の金剛界曼荼羅の中心,真言宗で最も重要な仏である。
阿弥陀如来は,西方の極楽浄土を持つ仏で梵語名のアミターバは『無限の光・無限の寿命』を持つものを意味する。浄土真宗では阿弥陀仏への本願力への帰依を願い目指す(他力本願)といわれる。
薬師如来は,現世における衆生の疾病を治癒して寿命を延べる力を持つ仏である。天台密教では東方の浄瑠璃世界の教主と位置づけられている。一般民衆の間では現世利益の信仰を集める仏である。
『菩薩』は成仏を求める修行者であり人々を教え導くものとして,身近な現世利益信仰の対象となっている。主な菩薩として、観音菩薩、弥勒菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩、地蔵菩薩,勢至菩薩などが、尊崇されてきた。
観音菩薩は観世音菩薩と言われたり,一般的には観音様と呼ばれて観音経の祈りの対象となっている。女性的な顔立ちにより慈母観音と呼ばれることもある。真言宗では千手観音・十一面観音・馬頭観音など六観音が定められている。
弥勒菩薩は釈迦の入滅後56億7千万年後の未来に弥勒仏として現われ人々を救済するとされている。
普賢菩薩は法華経において女人成仏が説かれていることから,女性に厚く信仰されてきた。
文殊菩薩は智恵をつかさどる仏として民衆の信仰を集めてきた。
地蔵菩薩は子供を守る仏として,日本各地の道端にたたずみ最も民衆の身近にいる仏でもある。
勢至菩薩は智恵の光を持って民衆が地獄・餓鬼界に落ちないように守る仏とされている。
また薬師三尊として薬師如来の両脇に立つ日光菩薩と月光菩薩なども仏像としてよく知られている。
『明王』は大日如来が,仏教に帰依しない民衆を導く役を命じた仏であり,時に力づくでも帰依させるため武器類を手に持ち,忿怒(ふんぬ)の相で火炎を背負い、髪は怒りによって逆立った姿で現される。最も代表的な明王は不動明王である。愛染明王同じく忿怒相であるが,愛を表現した仏であるためその身色は真紅であり頭には獅子の冠をかぶっている。
『天部』は仏法の守護神・福徳神とされ,現世利益的な信仰を集めるものも多い。
帝釈天は梵天と並ぶ代表的な天部であり,仏法の守護神と位置づけられる。帝釈天の妻は阿修羅の娘と言われる。
柴又帝釈天は日本でも一番有名な帝釈天であろう。
四天王は須弥山に住む帝釈天を守る4人の守り神である。
北方を守るのが多聞天であり,日本では毘沙門天とも呼ばれる。
南方を守るのが増長天
東方を守るのが持国天
西方を守るのが広目天
弁財天は財宝神として,水に深い関係(弁天池など)のある場所にまつられる。
神道では七福神の一人で音楽を司る女神とされている
大黒天は米袋に乗る豊穣の神で,厨房・食堂の神ともされる。
吉祥天は幸福・美・富を表す女神とされる。
韋駄天は小児の病魔を除く足の速い神である。
摩利支天は陽炎を神格化したものといわれる。
金剛力士は開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の二体を一対として、寺院の表門などに安置され,一般には仁王の名で親しまれている
鬼子母神は他人の子供を食う餓鬼であったが仏教に帰依して,子供と安産の守り神となった。
これら天部まで下ると,日本では神道と神仏混交(習合)して弁財天/弁天様であるとか大黒天/大黒様のように区分けは不鮮明になる。
最後に,実在の『高僧』が仏と同じように信仰の対象になっている。
鑑真和上は奈良時代に日本に帰化して律宗を起こした唐の高僧である。五度にわたる渡日失敗の後,六度目の渡日で初めて日本に上陸できたときには既に両目を失明したと言われている。奈良の唐招提寺にある鑑真像は、日本最初の肖像彫刻とされる国宝である。
最澄は平安初期に遣唐使として中国にわたり天台宗を学び帰国。比叡山延暦寺で天台宗をおこした。
空海は平安初期に中国にわたり大日経をはじめとする真言密教を学んで帰国。高野山金剛峯寺で真言宗をおこした。弘法大師の名で民衆に親しまれており,四国や熊野で長い山野修行を積んだことから日本各地に空海伝説を生んでいる。また四国の八十八箇所を巡るお遍路さんは,空海と共に自分自身を見つめ直す修行の旅として今も大衆的人気が高い。
法然は浄土宗を修行し,親鸞の師となる高僧である。
親鸞は鎌倉時代の浄土真宗の開祖であり,「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることで阿弥陀仏の極楽浄土に導かれるとして多くの民衆の信仰を集めた。時に多くの農民の武法蜂起『一向一揆』をおこしたりして,時の政府の激しい弾圧を受けた。
栄西は鎌倉時代に南宋にわたり禅宗を学び,日本に戻り京都に建仁寺を建立して臨済宗を起こした。座禅を通しての悟りを目指し主に武家階級に浸透した。
道元禅師は鎌倉時代に宋にわたり曹洞宗を学んだ。永平寺を建立して曹洞宗を起こした。同じ禅宗の臨済宗と異なり,下級武士や一般民衆にも信仰された。道元の著書である『正法眼蔵』は仏教全般について書された仏教思想書である。
日蓮は日本で鎌倉時代に蓮華経を学び,「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることで釈迦が到達した最高の教えを目指すとして池上本門寺を本山に日蓮宗を起こした。
仏教の世界では,隋末の高僧玄奘三蔵(げんじょう さんぞう)は砂漠を越えて天竺(インド)に至り,仏教を学び657部もの経典を唐の長安に持ち帰った。中国での仏教はこれらの経典の翻訳から本格的に始まったとされ,後に弟子たちにより法相宗や倶舎宗といった宗派が起こされた。長い仏教の歴史において最も高名な僧とも言われ,三蔵法師の西遊記で日本でも大変良く知られ親しまれている。
日本では,607年に法隆寺を建立した聖徳太子が日本仏教興隆の祖と考えられており,法隆寺は世界最古の木造建築物群としてわが国初のユネスコ世界遺産に登録された。聖徳太子,法隆寺ともいまだ詳細不明な点も少なくないといわれている。
ところで僧侶・民衆を問わず今でも読誦される経典『般若心経』は僅か300字足らずの本文に大乗仏教の真髄が説かれていとされ,天台宗・真言宗・禅宗などで使用されている。
さて中国は日本仏教にとっても歴史的に兄貴分にあたるとされるが,共産国となった今の中国の一般大衆(特に若者)の中で仏教はどのような位置づけされるのでしょうか?大変興味深いですね。
2009年東京と福岡で興福寺の国宝『阿修羅』を中心とする展覧会が開催された。阿修羅は戦いの神と言われるが少年のような像が大人気で延べ176万人が集まったそうだ。 『阿修羅』はアイドルになってしまった。
ところで2010年早春に奈良を旅してきました。修学旅行以来の奈良の寺社巡りでした。 興福寺・東大寺・春日大社・薬師寺・唐招提寺・長谷寺・室生寺・飛鳥寺・法隆寺,ついでに平城京遷都1,300年で話題の大極殿までまわり幾多の仏像を拝み頭は混乱です。 薬師寺では記念に『般若心経』の経本を入手してきました。
以下は,266文字の『般若心経』のお経です。
ぶっせつ ま か はんにゃは ら み た しんぎょう
仏説摩訶般若波羅蜜多心経 偉大なる真実に目覚める智恵の教え 公方俊良著『心に響く般若心経』より
かん じ ざい ぼ さつ ぎょう じん はん にゃ は ら みっ た
じ しょう けん ご うん かい くう
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 観世音菩薩は,真実に目覚める智恵の行を究められ,
身も心もみな空であることを悟られ
ど いっ さい く やく しゃ り し しき ふ
い くう くう ふ い しき しき そく ぜ
くう
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 一切の苦しみから救われる道を示された。 舎利弗よ,
形あるものは空であり,空が形あるものを構成している。
したがって,形あるものはすべて空であり,空がもろもろの
形あるものとなっていて,
くう そく ぜ しき
じゅ そう ぎょう しき やく ぶ にょ ぜ しゃ り し ぜ しょ ほう
くう そう
空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 感覚も,思いも,分別も,認識も,これと同様である。
舎利弗よ,この世の一切のものの真実の姿は
ふ しょう ふ めつ
ふ く ふ じょう ふ ぞう ふ
げん ぜ こ くう ちゅう
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 空であって,生ずることもなく,滅することもなく,穢れもせず,
浄らかにもならず,減りもせず増えもしない。
故に,空が構成する実相の世界では,
む
しき む じゅ そう ぎょう しき む げん に び ぜっ しん い む しき しょう こう み そく
ほう
無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 形あるものはなにもなく,感覚も思いも分別も認識も
なにもない。
そこには,眼も耳も鼻も舌も身体も心もなく,また形も声も
香りも味わいも触覚も心の作用もない,
む げん かい ない し
む い しき かい む む みょう やく む
む みょう じん
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 眼に見える世界から意識の世界までもない。
無明もなく,無明の尽きることもなく,
ない し む ろう し やく む ろう し じん む く しゅう めつ どう む ち やく む
とく
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 老死もなく,老死の尽きることもない。
また,苦も,苦の原因も,苦のなくなることも,苦なくす道もない。
さらに,教えを知ることもなく,悟り得ることもない。
い む しょ とく こ
ぼ だい さつ た え はん にゃ は ら みっ た こ
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 このように,なにも得ることがないということを,
菩薩は真実に目覚める智恵によってあるがままに
見ることができるから,
しん む けい げ む けい げ こ む う く ふ おん り いっ さい
てん どう む そう
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 心に障りがない。
心に障りがないから怖れることがない。
したがって,一切の迷いを離れて心のやすらぎに至るのである
くう
ぎょう ね はん さん ぜ しょ ぶつ え はん にゃ は ら みっ た
こ
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 三世の仏達も,真実に目覚める智恵によって,
とく あの く た ら さん みゃく
さん ぼ だい こ ち はん にゃ は ら みっ た
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 完全な悟りを成就されたのである。
故に真実に目覚める智恵である般若波羅蜜多の教えは
ぜ だい じん しゅ ぜ だい みょう しゅ ぜ む じょう しゅ ぜ む とう どう
しゅ
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 大いなる霊力をもった言葉であり,明らかなる言葉であり,
この上ない言葉であり,他に比類のない言葉である。
のう じょ いっ さい く
しん じつ ふ こ こ せつ はん にゃ は ら みっ た
しゅ
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 したがって,一切の苦厄を除き,真実にして虚しさがない。
そこで,真実に目覚める智恵に至る呪文を説こう
そく せつ しゅ わっ ぎゃ
てい ぎゃ てい は ら
ぎゃ てい は ら そう ぎゃ てい
即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 すなわちその呪文とは,
”行こう,行こう,真実の世界へ行こう,みなで共に行き,仏の悟りを
ぼ じ そ わ か はん にゃ しん ぎょう
菩提薩婆訶 般若心経 成就しよう”
智恵と真髄の教えを終わる。
これを棒読みしても,我々には全く理解できません。
ただ,くり返し使われている『空(クウ)』や『無(ム)』という言葉に
大きな意味があるようです(右蘭には公方俊良住職の訳文を写記した)。
苦しみの根源
生・老・病・死
・諸法無我(しょほうむが)
・一切皆苦(いっさいかいく)
・諸行無常(しょぎょうむじょう)
・涅槃寂静(はんにゃじゃくじょう)
十二因縁(縁起)
無明ムミョウ(無知)→ 行(潜在的形成力)→ 識(識別作用)→ 名色ミョウシキ(名称と形態:精神と物質)
→ 六処(眼・耳・鼻・舌・身・意)→ 触(感覚と対象との接触)→ 受(感受作用)→ 愛(盲目的な衝動)
→ 取(執着)→ 有(生存)→ 老死(無常な姿)
四諦説(したい)
苦・集・滅・道
八正道(はっしょうどう)
正しい見解・正しい思い・正しい言葉・正しい行為・正しい努力・正しい念い・正しい禅定
三宝
仏・法(ダルマ)・僧
仏蹟巡礼
・ルンビニー :修行完成者が生まれた場所
・ブッダガヤー:無上の完全な悟りを開いた場所
・サールナート:教えを説き始めた場所
・クシナーラー:煩悩のないニルヴァーナの境地に至った場所)
葬式仏教
以前のように強力な檀家組織が持てなくなったお寺は,観光収入が得られるような一部のお寺を除きお寺の維持管理に必要な収入をお布施や戒名料に求めざるを得なくなってきているという指摘がある。
お布施や戒名料で生計を立てることから“葬式仏教”と言われることさえある。
仏教団体もそのような状況の積極的な説明を避ける結果,あくどい戒名料請求をするなどという批判を受けるお寺も少なくないらしい。
一方で戒名は死後の勲章だとして,社会的な見得の為にお金で立派な戒名を戴くと言う実態も見受けられる
そこで,特にわれわれ一般庶民に分かりにくい戒名に付いて若干調べてみた。