落語の世界                                


 落語は江戸時代に始まり現在まで続く伝統ある大衆芸能である。落ちのあるはなし落としばなしから落語と言われるようになったと言われている。 一人の演者が何役もこなし,関東落語では小道具は扇子と手拭いだけというシンプルな構成になっている。 噺により稀に三味線など鳴り物が入るが,基本は噺家一人で演じられる。 噺は人情噺・滑稽噺・郭噺・怪談噺・芝居噺など多岐にわたり,客席から3つの言葉をもらい,即興でその言葉の入った噺を作り話すという驚くような形態もある。 大相撲と同じように噺家は前座・二つ目・真打と階級制で構成されており,寄席と言われる舞台で噺を磨き名人を目指している。 現代では各種の名人会やテレビなどのマスメディアでの活躍で名を挙げる噺家も多い
 テレビの落語と言えば昭和40年ころ『金曜夜席』という落語家の番組があり“大喜利”が話題になった。 立川談志が司会を務め,三遊亭円楽や桂歌丸といった当時の若手で実力のある噺家たちが談志の出す問題に,とっさに気の利いた答えを捻り出すというスタイルは目新しく,噺家たちの見事な答えに感心したもので番組の人気もすこぶる高かった。   金曜夜席は,日曜夕方の『笑点』と名前を変えて今も人気の番組である。 私は円楽が司会を降りたころから,マンネリや薄っぺらい受け笑いが鼻につくようになり,見なくなった。
 
噺家の大看板は,連綿と引き継がれてきたが必ずしも直系で継がれるものではなく,あくまで一門の実力をつけた噺家が落語界や席亭や贔屓スジなど多くの後押しで阿吽の呼吸の下に決まって,襲名披露という晴れやかな舞台が関係者や観客の前で,もたれるものである。
ところが,最近は当然のように直系親族で継がれる例が次々と出ている。
これは落語界にとっては,決して最善の道とは思えない。     ”名が芸を育てる” と安直に言う古参の噺家も多いが,以って生まれた器の大小は,いかんともし難いのが世の常だ。
同様な問題は,歌舞伎など他の演芸の世界でも見られる。
もっとも,テレビタレントや政治家まで親族の二世・三世がやたらと目に付き,日本の社会自体が世襲社会に成り下がっているということかも知れない。   嘆かわしい!   芸養子という言葉は絶滅したのか!!
 噺家は基本的に一匹狼たちの集団だが,閉鎖社会特有の派閥のような系列が存在する。 最も大きな集団は『落語協会』で噺家たちの王道を歩んでいる。 新作落語にも力を入れてきたのが『落語芸術協会』である。 古参落語家達の運営の旧態依然さに反発して,立川談志が立ち上げたのが『立川流』である。 狭い落語家業界だが,今もなかなか統合の気配は見られない。 なお関西では『上方落語協会』が独自に活動している。
 ところで私が好きだった落語家を三人選ぶと,(1)五代目古今亭志ん生 (2)六代目三遊亭円生 (3)八代目林家正蔵の三人です。
三代目古今亭志ん朝五代目三遊亭円楽七代目立川談志らがもっと長生きしてくれたら彼等の後を継ぐ大名人になった筈だ。   実に残念だ!
  

一門名 一門の代表名 一門の名人たち
三遊亭 円朝 現在に続く落語界の祖にあたり,明治期の大名人。  三遊派の祖にもなる。
人情噺怪談噺などジックリ語り込む形は,今も三遊派に受け継がれている。
いま古典落語といわれる噺も,数多く円朝が創作したものである。
創作は芝浜文七元結真景累ケ淵牡丹灯篭死神などなど。
鰍沢は,客席から卵酒鉄砲毒消しの護符三つの言葉を貰い,その場で噺を作りながら話すという,いわゆる三題噺で,その構成・物語性など驚くほどの完成度である。
将来とも,余程の大名人が現れない限り,円朝の名を継ぐことは不可能である。
円生 六代目は昭和の名人    五代目志ん生と共に戦後の落語会を築き上げた
死神,三十石,百川,首提灯,お神酒徳利等など滑稽噺,人情噺,芝居噺,怪談噺など演目は非常に広い。  大阪出身だが活躍は東京にこだわり,流れるような江戸弁は聞いていても実に心地よい。
円楽 五代目は若手の頃,志ん朝・談志らと共に四天王と呼ばれ,平成の名人と目された。
2007年2月に突然引退宣言。 大いに惜しまれた。
円楽一門会として多くの弟子を抱えている。 2009年に惜しまれつつ死去。
2010年楽太郎が六代目を継いだ。 まだまだ先代のカリスマ性には遠く及ばない。
楽太郎
三遊亭 金馬 三代目は敗戦後の復興期の日本を明るくした外観と芸風で大衆から圧倒的に支持された。
居酒屋,薮入り,目黒のさんま,花見の仇,小言念仏などなど。 子供が出る噺は特に受け,人情味のある爆笑ネタで繰り返し繰り返しテレビやラジオで放送された。
林家 正蔵 八代目は戦後落語会の名人の一人    稲荷町の師匠
中村仲蔵,鰍沢,真景累ケ淵平岩弓枝作の笠と赤い風車など独特の渋い語り口が玄人すじに好まれた。     老後は彦六に改名して,三平に正蔵名を返した。
2005年に三平の長男こぶ平が九代目を継いだが,死ぬほど努力をしない限り名前に負け続けるぞ。
三平 初代(二代目?)は七代目正蔵の長男であったが,大看板は(八代目に)貸し,自らは54歳の早い死まで三平を通した。 ギャグ漫談で昭和の爆笑王として大人気であったが,噺家としては最後まで三流で終わった。 ところで当時”爆笑王”という呼ばれ方はしていなかったが,最近のマスコミは必ずこの呼び方をするのはなぜだろう?
2009年に先代の次男いっ平が二代目を継いだが先代の芸風を目指さないのが賢明だ。
三笑亭 可楽 八代目は極端に地味な噺口なため,少数派の熱烈ファンがいたが広い人気は得られなかった。  何といっても早口のべらんめ口調は最高! という客も多かった。
らくだ,反魂香,今戸焼,岸流島など懐かしい。
古今亭 志ん生 五代目は昭和の名人    六代目円生と共に戦後の落語会を築き上げた
『高座に座る姿そのものが一枚の絵であり、落語である』とまで言われた,生粋の江戸っ子噺家
火焔太鼓,妾馬(八五郎出世),黄金餅,唐茄子屋政談,猫の目等々志ん生ならではの演目は今もCDなどで断然たる人気である。
八代目桂文楽とは対を成し,人間そのものが芸であった。
志ん朝 三代目は,五代目志ん生の次男で,若くして名人の誉れを高くしたが,63歳の働き盛りで他界して,多くのファンを悲しませた。
江戸噺家の正道を歩み,いずれは志ん生かひょっとすると円朝の名を継ぐと嘱望された落語界の至宝となるべき噺家であった。
古今亭 今輔 五代目は古典も話したが,何といっても一連の新作のオバアチャン物が人気であった。
柳屋 小さん 六代目は円生亡き後の落語会の最重鎮で人間国宝
剣道をよくし,北辰一刀流師範であったことは良く知られる。
二番煎じ,たらちね,長屋の花見,三人旅,時そば,饅頭こわいなど明るい語り口には人気が高かった。
小三治 当代(十代目)は,柳屋一門の実力者だが,小さんの名は継がないと宣言した。
柳屋 金語楼 戦時下にも兵隊物で軍隊を笑う新作落語で憲兵隊に睨まれたりしても大人気であったが,戦時中に廃業。
マルチタレントのハシリで,喜劇にテレビにCMに新作落語作者にと大活躍であった。 なかでもNHKのジェスチャーでの男性組キャプテンは全国の茶の間に浸透した。
文楽 八代目は端正な語り口の大名人     黒門町の師匠
78歳の時,舞台で絶句して,そのまま二度と高座に上がらなかった。   細部まで練り上げた精緻な噺口ゆえの美学といわれた。
富久,愛宕山,明烏,酢豆腐,寝床,船徳等など当時の文人などにも愛された演目が多い。
三木助 三代目は江戸っ子の粋でいなせな語り口で,芝浜の三木助と言われたように芝浜は得意としていた。
歌丸 古今亭今輔・桂米丸の門下で新作中心に噺していたが,後年は古典落語に専念した。立川談志が進行を務めた『金曜夜席(後の笑点』で五代目円楽,円弥らと共に大喜利で活躍した。後年,落語芸術協会会長なども歴任した
2018年没
春風亭 柳橋 六代目は眉毛の長い風貌が印象的で,いかにもほのぼのとした好々爺。
時そばは右に出るものが今もいない。   粗忽の釘,野ざらし,大山参りなどのほか新作ネタも取り上げた。
橘屋 円蔵
金原亭 馬生 十代目は五代目志ん生の長男で,弟は三代目志ん朝という名門。
父と異なり,人情噺をじっくり聞かせる玄人好みの芸風であったが,54歳の早死は大いに惜しまれた。子別れ,船徳,佃祭り,柳田格之進など演目は多い。
五街道 雲助 馬生の一門。 2023年に人間国宝に指定される。
鈴々捨 馬風
柳亭 痴楽 四代目は,独特の七五調の新作痴楽綴り方狂室で戦後落語で一つの時代を作った。
入船亭 扇橋
立川 談志 七代目は,かつて国会議員まで勤めたマルチタレント。  本人は早くから名人を自認していたが,万人が認める前の死去は惜しまれる。
確かに平成の芸達者だが,落語協会を脱会して立川流を設立して活動したため,今も落語会では傍流の観は否めない。
粗忽長屋,文七元結,野晒し,へっつい幽霊など等演目は非常に多い。
2011年11月死去(享年75歳) “落語=人間の業の肯定” を目指す一生であった。
笑福亭松鶴一門 松鶴
桂米朝一門 米朝 当代(三代目)は,上方落語の中興の祖と言われる名人で,今は東京を含めた落語界全体の最重鎮で,人間国宝であったが2015年3月死去(享年89才)。  当時は珍しい学士(中退),会社員も経験した噺家でテレビなどにも盛んに出演していた時期もあった。  なんといっても多数の眠っていた噺を復活させた功績は大きい。
地獄八景亡者戯,算段の平兵衛,百年目などがそれである。
CDやDVDなど実に多数が世に出されている。  また一門は非常に幅広い人材を抱えている。
桂文枝一門

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