昭和30年代までは娯楽の王様の一つが映画でした。
小さな地域でも映画館の一つや二つはありましたね。
当時,我家は大田区馬込で大森駅からは1kmくらい離れた商店街(馬込銀座という,日本中あちこちにある商店街と同じような名前)でしたが,この左程広くない地域の中にも邦画専門と洋画専門の二つの映画館がありました。 邦画館は昭和30年を過ぎた頃,失火のため消失した上に洋画館は昭和40年頃に取り壊されて,跡地は,当時はまだめずらしかったマンションになってしまったものです。
というわけで小学校低学年までの時代は,たびたびタダで映画館にもぐ込んだりして色々な映画を見たものです。 なにぶんタダ見なので,映画の終わりの1/4くらいだけ見たと言う半端な鑑賞が多かったのは,致し方ないです。
日本の映画も嵐勘十郎ほかいろいろと見たが,どちらかと言うと私は洋画のファンでした。
当時は電力事情が悪くて,映画の途中で停電と言うことも珍しくなく,みな口笛を吹いたりしてのんびりと再開を待ったものです。 今のように,複雑な電力システムの何処かがダウンするというような難しい停電ではなく,日常茶飯に頻発する,電気の供給力が消費に間に合わないという,時代特有の停電なので,家庭でも常備しているローソクを点けて待っていれば,程なく回復するようなものでした。
その後,大学時代になると,あの有名な新宿の“名画座”に時々古い名画を見に行ったりしたものです。
さて,名画と言うとやはり最初に思い出すのは1936年の『風と共に去りぬ』ですね。 最初は昭和30年頃に見ましたが,総天然色(当時はそう表現されていました)4時間近い大長編で,途中に休憩があったことを,ヤケにはっきりと覚えています。 オールカラーのこの映画が,なんと戦前に作られたなんて,もう呆れるばかりです。 なんといってもビビアン・リーとクラーク・ゲーブルの二大スターあっての映画です。 スカーレット・オハラの最後のセリフ『After all, tomorrow is another day.(明日という日がある)』を述べながら夕日のタラに立つシーンは非常に印象に残りました。 この頃から,アメリカの女性は随分逞しい精神を持っていたのですね。
この映画はスケールの大きな主題曲『タラのテーマ』も同様に印象的でした。 ちなみにビビアン・リーは英国出身です。
同じようにすぐ思い浮かぶのが1953年の『ローマの休日』です。 なんといっても,アン王女役の新人のオードリー・ヘップバーンが,いきなりアカデミー主演女優賞を受賞して大スターになった作品です。 日本人好みの清潔感あふれた美人女優で,その後次々と映画に主演して,あっという間に世界を代表する大女優に成りました。 可愛かったですね。 映画の中で美しい長髪をカットして,すぐヘップバーンスタイルといって,日本の女性の間で流行ったものです。 また“スペイン広場”や“真実の口”など,この映画でローマの町並みが,まるで誰もが良く知っていると感じるほど旨くストーリーにはめ込まれていました。 ちなみにヘップバーンは英蘭ハーフのイギリス人です。
イキな男性好みの映画と言えば,1943年の『カサブランカ』が思い浮かびます。 ハンフリー・ボガードは,いわゆる美男男優と言うわけではないが,全てが何ともダンデイーですね。 映画の中で,かつての恋人役のイングリット・バーグマンは,いかにも知的な美人女優でした。 ルノー署長は,ポイントになる役でしたね。黒人ピアニストが歌う"As Time Goes By” も,大人の味の名曲。 ちなみにバーグマンはスエーデン人です。
昔は西部劇が非常に好まれました。名作も多いし,大スターも次々輩出されました。 中でもミスター西部劇とでも言えるのが,ジョン・ウエインで,代表作は沢山あるが,敢えて一つと言えば1939年の『駅馬車』ですね。 ジョン・ウエインの演じたリンゴ・キッドには泣かされましたね。 1952年『真昼の決闘』,1955年『リオ・ブラボー』,1957年『OK牧場の決闘』等など手に汗握りながら見た西部劇が他にも沢山ありました。 ところで,インデイアン=単純・残酷・悪役はこの後も色々な映画で,懲りずに繰り返し繰り返し続けられた。 このステレオタイプの人種差別/ワンパターンが初めて覆されたのが,1990年『ダンス・ウイズ・ウルブズ』であり,やっと映画上の人種差別に終わりを告げることができた。
ヨーロッパの映画だと,まず1945年の英国映画『第三の男』を挙げなければいけません。 主演はジョセフ・コットンだが,何といってもハリー役のオーソン・ウエルズが印象的でした。 アントン・カラスがスイスの民族楽器ツイターで奏でる静かな主題歌は映画にピッタリでした。 特にラストシーンの落ち葉の散る墓場での,セリフ無しの長いラストシーンは,アメリカ映画にはない余韻にあふれた最高のラストでした。
ジェームス・デイーンというアメリカの男優を知っていますよね。 戦後の若者を最初に印象付けた俳優で,1955年名監督エリア・カザンの『エデンの東』はじめ『理由なき反抗』,『ジャイアンツ』と次々と主役を演じた。 わずか24歳の若さで自動車事故死したが,このまま大スターへの道を歩むことが約束されていただけに世界中の若者に衝撃を与えた。 チョット拗ねたような上目遣いは多くの女性観客の心に響いたようだ。 ところで,エデンの東のテーマ曲サウンドトラック版は日本でも空前絶後の長期間大ヒットしました(もちろん当時のラジオの
“Your Hit Parade” などの人気音楽番組でのこと)。
話は変わるが,私が小学校時代,昭和30年頃,学校で映画鑑賞に行くことがありました。 学年ごとに,全員が町の映画館まで歩いて行って,映画を鑑賞する授業です。 皆さんは,こういう授業ありましたか? 年に一本くらいで2,3回見に行った記憶があります。 こういう映画鑑賞では『禁じられた遊び』,『汚れなき悪戯』というような名画が対象で,どちらも見に行ったことを良く覚えています。 『禁じられた遊び』は1952年のルネ・クレマン監督のフランス映画で,機銃掃射で孤児となった4,5歳の少女と2,3歳上の少年との交流と別れの切ないストーリーで,ナルシソ・イエペスの奏でるギターの名曲 “愛のロマンス” のメロデイーと,少女が少年を探して叫ぶ ”ミシェル!” という声と共に終わるラストは,いま見てもきっとまた涙を流すでしょう。 『汚れなき悪戯』は1955年のスペイン映画で,キリスト教の奇跡のストーリー。 『鉄道員』は1956年のイタリア映画で,いかにもイタリアらしい重く切ない家庭ストーリーであった。 イタリア映画といえば,ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニのゴールデンコンビ主演の1970年の『ひまわり』は見ましたか? これも,なんとも切ない映画ですね。 しかしイタリアでも昔から女性は強かったのですね。 一方,ヨーロッパの二枚目男優と言えば,やはりアラン・ドロンでしょう。 1960年の仏伊合作の『太陽がいっぱい』,面白かったですよね。 この年代の若者の虚無感を漂わす,怖い映画でした。 これらの欧州の映画は,いずれも名画と呼ぶのにふさわしいですね。 欧州の映画は,私たち(大人の)日本人の感性に訴えかける内容のものが伝統的に多い。 対照的にアメリカでは,どうも善悪をはっきり切り分けた単純ストーリー/正義漢ストーリーが受けるようで,特にこの20年くらいのハリウッド映画は我々日本の大人の鑑賞に耐えないですね。 仏米合作の1994年作品『レオン』も,おもしろい映画でした。ジャン・レノとナタリー・ポートマンの二人,泣けてきますね!
さて,男たちは,SF映画が結構好きだと思います。 私も大いに興味深い分野ですが,皆さんはいかが? SF映画を二本上げるとすると,『宇宙戦争』と『2001年宇宙の旅』を挙げたいです。 『宇宙戦争』は,イギリスSF小説の巨人H.G.ウエルズの原作を映画化した1953年のアメリカ映画。 この原作は,ラジオ放送したときに,多数の聴取者が本当の事と思い込みパニックを起こしたことでも良く知られている。 素朴な特撮技術しかなかった時代に作られた作品だが,チャチな印象は全く受けなかった。 それはストーリーが単純な,火星人=悪の侵略者というステレオタイプでなく,あくまで実際にありそうな社会ドラマの雰囲気の映画に仕上げたためであろう。 事実,映画の中で,はっきりとした火星人の姿は一,二度しか登場せず,自らの手で隠した姿と,宇宙船の出入り口に下がってくる手の部分だけであった。 この二十年間くらいに次々と作られたハリウッド製SF映画の,人類=善 宇宙人=悪 の単純構成と,勧善懲悪マンネリパターンは,言ってみれば電子紙芝居であり,あくまでお子様向けのものですね。 大の大人が繰り返し見るものではありませんよ! 1968年のアメリカ映画『2001年宇宙の旅』は,イギリスのSF界の巨人アーサー・C・クラーク原作の『失われた宇宙のオデッセイ2001』をスタンリー・キューブリック監督が映画化したものである。 物語は三部に分かれるが,詳細な説明は省かれており,謎の多い作品である。 それだけに,繰り返し見ても,いつも新鮮な印象を与える。 私は,小説のほうを先に読んだが,やはり難解でよく理解できませんでした。 スタンリー・キューブリック監督は,1964年『博士の異常な愛情または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』,1971年『時計掛けのオレンジ』,1980年スチーブン・キング原作『シャイニング』など破壊的な映画を色々作りましたね。
戦争映画もいろいろあるが,我々日本人には戦勝国が作った太平洋戦争がらみの映画は冷静に見るのが困難なので,パスです。 1954年アメリカ映画『第17捕虜収容所』は,ドイツ軍の捕虜収容所での密室劇のようで面白かったですね。 古いことなんでストーリーは殆ど覚えていませんが,暗い真理劇という印象が残ってます。 ベトナム戦争は,大国アメリカにとって忘れられない敗戦で,勧善懲悪ストーリーは成立しないだけに,戦争物の中にも名作がありますね。 1986年の『プラトーン』は,本当に激しい戦闘/戦争映画ですが,アメリカ自身の社会を表しているようで面白かったですね。 1979年『地獄の黙示録』も多分名作なのでしょうが,私にはチョット判断困難でした。
前に,アメリカの男優四人を挙げましたが,あと二人述べておきたいです。 一人はスチーブ・マックイーンですね。 1963年のアメリカ映画『大脱走』は,彼の代表作です。しかし,彼の一番の代表作は,実はテレビの連続物西部劇として毎週放映された『拳銃無宿』の方だと思います。 短身のウインチェスター銃を身に着けた賞金稼ぎという役の一方で,悲しげな目付きが逆に強い印象を与えました。 彼はその後,ユル・ブリンナーと共に1960年の『荒野の七人』でもブリンナーに次ぐ重要な役を演じていた。 50歳の死は,早すぎましたね。 もう一人は,比較的最近ではブラット・ピットですね。1995年『セブン』,1996年『スリーパーズ』,1998年『ジョー・ブラックをよろしく』,1999年『ファイト・クラブ』 なかなかいいですね。 今後が大いに楽しみな俳優。
純粋アメリカ人の大女優は,あまり良く知らないせいもあるが意外とあまり思い浮かびません。 真っ先に挙げるのは,エリザベス・テイラーでしょうか。 恋多い女優の印象が強いが,アカデミー賞主演女優賞を2回も受賞した,文字通りの大女優ですね。 代表作を挙げるのは,私の知識では困難ですが1966年『バージニア・ウルフなんかこわくない』や1960年『バターフィールド8』などかもしれないが,どちらも見ていないので・・・・・・。 いかにもハリウッドらしい大女優と言うと,マリリン・モンローかな。 スクリーンでもセックス・シンボルとして君臨していたが,頭の弱めのキャラクターは演技なのか,もって生まれたものか判断が難しい。 1954年『帰らざる河』,1959年『お熱いのがお好き』など作品は多い。 1956年の『バス停留所』なんて,チョット可愛げのある女の子でしたね。
いました,いました。ジェニファー・ジョーンズがいました。1955年『慕情』,ストーリーはパッとした記憶がありませんが,あの主題歌『Love Is a Many Splendored Thing』は,世界的に大ヒットしましたね。 プッチーニの歌劇『マダム・バタフライ』の有名なアリア『ある晴れた日に』をモチーフに作曲された言われています。 その他にも1954年『終着駅』,1957年『武器よさらば』 リメイク版などなど良くお目にかかりました。 そうです,キャサリン・ヘップバーンもいました。1981年『黄昏』で何と四度目のアカデミー主演女優賞を受賞したアメリカを代表する名女優でした。 『黄昏』は,名優ヘンリー・フォンダの遺作で,彼も同時にアカデミー主演男優賞を受賞して大変話題になりました。 往年のアメリカ映画をほうふつとさせる,静かな名画でした。 1955年イタリアのロッサノ・ブラッテイと競演した『旅情』も良い映画でした。 いわゆる典型的な美女でないだけに彼女にはピッタリはまっていました。
ほら,グレース・ケリーもいるじゃないですか! 気品の高い正真正銘の美人で,モナコ王妃になってしまったのには驚かされました。 1952年の『真昼の決闘』でゲーリー・クーパーと共演したほか,ヒッチコックの作品には随分出ていました。 1954年の『裏窓』,『ダイヤルMを回せ』など,懐かしいですね。
イングリット・バーグマンは本当に知的な美人でした。1956年『追想』なんて泣けてくる映画でしたが,題名は原作どおり『アナスタシア』にするべきでしたね。
ヒッチコック監督の名が出たので,サスペンス映画を思い出してみましょうか。 アルフレッド・ヒッチコックはイギリス出身だが,活躍の場は殆どアメリカでした。
前述の二作のほかにも膨大な作品があります。 1940年の『レベッカ』,1941年『断崖』,1951年『見知らぬ乗客』,1955年『泥棒成金』,1959年『北北西に進路をとれ』,1960年『サイコ』,1963年『鳥』・・・・・・・・・・例を挙げていると切りがありません。 今でもテレビの名画座などで繰り返し放映されているものも沢山ありますね。 『鳥』は,ある小さな港町でふだん見慣れている鳥たちが一斉に人間に襲い掛かると言う奇想天外な恐ろしいストーリーでした。
このほかにもテレビでヒッチコック劇場で登場していましたから,(もちろん有能なスタッフを多数抱えていたのでしょうが)よく才能が枯渇しないで続けられたものと関心するやら呆れるやら。
ほかのサスペンス映画だと,1991年の『羊たちの沈黙』ですね。ジョディ・フォスター演じるクラリス・スターリングFBI捜査官とアンソニー・ホプキンス演じるハンニバル・レクター博士の組み合わせは実に旨いキャステイングでした。 本で読んでも怖かったですが,映画のレクター博士は更に迫力ありました。 ただし,いつでも,どれでもそうですが,続編は全くイケマセンですね。 続けてよいのは我が『寅さん』くらいでしょう。
1992年『氷の微笑』も面白かったですね。 何しろシャロン・ストーンですから,ものすごくセクシーでしたよね。
1993年『ペリカン白書』はどうでしょう。ジョン・グリシャムのベストセラー小説です。ジュリア・ロバーツとデンゼル・ワシントンの強力タッグの主演でした。 それにしてもセンゼル・ワシントンは,いつも知的で力強く正義感にあふれ,ほとんど鼻につくほどです。 オバマ大統領の登場を予見するような黒人名男優ですね。
黒人名男優といえば,忘れてはいけないのがシドニー・ポアテイエでしょう。 1967年の『夜の大捜査線』が第一でしょうか。 アカデミー主演男優賞を受賞したのは,人種差別の強い町の所長役のロッド・スタイガーでしたが,映画は明らかにシドニー・ポアテイエが演じたフィラデルフィアの敏腕黒人刑事のものでした。 南部アメリカに限らず,当時はアメリカ全土でも人種差別は激しかった時代だったが,このあたりから映画では有能な黒人とそうでない白人という組み合わせが目立つようになってきた。 映画は,社会/時代を反映することが良く分かる一例ですね。
SFホラー系では1979年『エイリアン』とか1984年『ターミネータ』とか,結構旨く出来ていたと思います。 ただしどれも次々できる続編は全てクズ。ハリウッドは明らかに才能枯渇なんですね。
才能枯渇といえば,最近のアメリカ映画のそれは目に余ります。 続編やリメークばかりがやたらと多い上に,CGを駆使したコケ脅かしのような安っぽい映画や,どう見ても子供向けとしか思えない各種ファンタジー映画の羅列! 才能のある若者の出現が心から待たれます。