歌舞伎の世界
(1)歌舞伎の名台詞
三人吉三廓初買(サンニンキチサ クルワノハツカイ) 『三人吉三』から,お嬢のセリフ |
大川端庚申塚の場 | お嬢吉三,お坊吉三,和尚吉三と名乗る三人の白波物(盗賊者) | |||
弁天娘女男白波(ベンテンムスメ メオノシラナミ) 白波五人男 | 浜松屋店先の場 | 弁天小僧 | 南郷力丸 | ||
稲瀬川勢揃いの場 | 日本駄右衛門 | 忠信 | 赤星 | ||
与話情浮名横櫛 源氏店(ヨワナサケウキナノヨコグシ ゲンジタナ) | 源氏店の場 | 与三郎 | お富 | ||
歌舞伎十八番の内 勧進帳 | (安宅関) | 武蔵坊弁慶 | 富樫左衛門 | ||
助六由縁江戸桜 | 花川戸助六(実は曽我五郎時致) | 意休 | |||
桜門五三桐(サンモン ゴサンノキリ) | 南禅寺山門の場 | 石川五右衛門 | 真柴久吉 | ||
浮世柄比翼稲妻(ウキヨヅカヒヨクノイナヅマ) | 鈴ヶ森 | 白井権八 | 幡随院長兵衛 | ||
仮名手本忠臣蔵 | 塩冶判官 (浅野内匠頭) |
大星力弥 (大石主税) |
大星由良之助 (大石内蔵助) |
歌舞伎座は2010年4月の公演をもって60年の幕を閉じることになった。 4月28日千秋楽の最後の演目は団十郎演じる花川戸助六と玉三郎演じる揚巻の『助六由縁江戸桜』で,歌舞伎座を懐かしむ多くの人たちで賑わい,テレビ各社もその様子をくり返し放映していた。 3年後には現在とよく似た桃山様式の歌舞伎座の外観を持つ正面と,オフィスビル風の奥の建物として完成した。 歌舞伎座の舞台としての最大の特徴は28mという間口の広さと1,866席という三層の客席が一体化しているところにあった。 舞台にはそれ以外にも花道や周り舞台やセリなど様々な智恵が凝集されており,幕が開くと目の前には美しい錦絵が出現して見るものを歌舞伎の世界にひき入れた。
2012年勘三郎,2013年団十郎と相次いで大名跡が世を去ってしまった。 染五郎や勘九郎ら次の世代がしっかりと後を継いでくれないといけない。 中でも団十郎の長男の海老蔵は江戸歌舞伎を背負う市川家にふさわしい大きな存在感と力量が感じられ,団十郎としてこれから一層大きく羽ばたいてほしい。
(2)歌舞伎の家と屋号
お嬢 | 月も朧に白魚の篝(カガリ)もかすむ春の空,冷てえ風もほろ酔いに心持良くよくうかうかと,浮かれ烏のただ一羽,ねぐらへ帰る川端で,棹のしずくか濡れ手で粟,思いがけなく手に入る百両, |
ト | 懐の財布を出し,にったりと思い入れ。 このとき上手にて”厄払い”の声して |
“厄払い” | 『御厄払いましょう,厄落とし』と呼ばわる。 |
お嬢 | ほんに今夜は節分か,西の海より川の中落ちた夜鷹は厄落とし,豆沢山に一文の 銭と違って金包み,こいつあ春から縁起がいいわえ。 どれ,道の用心に持って行こう。 |
− | お坊が登場して百両をよこせと脅し,命をとるから名前を教えろと言い |
お嬢 | 問われて名乗るもおこがましいが,きかぬ辛子と悪党の凄みのねえのは馬鹿げたもの。 そこで今度は新しく八百屋お七と名を借りて,振袖姿で稼ぐゆえ お嬢吉三 と名に呼ばれ,世間のせめえ食いつめ者さ。 |
− | 和尚があらわれ,ひとまず話しを丸める。 |
− | 浜松屋呉服店で弁天小僧菊之助と南郷力丸が偽万引きを仕掛け,店にばれて開き直り |
弁天小僧 | 知らざあ言って聞かせやしょう。 浜の真砂と五右衛門が歌に残した盗人の種は尽きねえ七里が浜,その白波の夜働き,以前をいやあ江ノ島で年季づとめの稚児が淵,百味で散らす蒔銭を当てに小皿の一文子(モンコ),百が二百と賽銭のくすね銭せえだんだんに悪事はのぼる上の宮,岩本院で講中の枕探しもたび重なり,お手長講と札つきにとうとう島を追い出され,それから若衆の美人局,ここやかしこの寺島で小耳に聞いたとっつあんの似ぬ声音で小ゆすり騙り,名せえゆかりの弁天小僧菊之助たあおれのことだ。 |
ト | 片肌脱ぎ,桜の彫り物を見せ,キッと見得。 ・・・・・・・・・・・ |
稲瀬川勢揃いの場
日本駄右衛門 | 問われて名乗るもおこがましいが,生まれは遠州浜松在,十四の時に親に別れ,身の生業も白波の沖を越えたる夜働き,盗みはすれど非道はせず,人に情けを掛川から金谷をかけて宿々で,義賊と噂高札に廻る配布の盥越し,あぶねえその身の境界ももはや四十に人間の定めはわずか五十年,六十余州に隠れのねえ賊徒の張本人日本駄右衛門。 |
弁天小僧 | さてその次は江ノ島の岩本院の稚児上がり,普段着馴れし振袖から髷も島田に由比ガ浜,打ち込む浪にしっぽりと女に化けて美人局,油断のならぬ小娘も小袋坂に見の破れ,悪い浮名も竜の口土の牢へも二度三度,だんだん越ゆる鳥居数,八幡様の氏子にて鎌倉無宿と肩書きも島に育ってその名さえ,弁天小僧菊之助。 |
忠信利平 | 続いてあとに控えしは月の武蔵の江戸育ち,幼児の時から手癖が悪く,抜け参りからぐれ出して旅を稼ぎに西国を廻って首尾も吉野山,まぶな仕事も大峰に足をとめたる奈良の京,碁打といって寺々や豪家へ入り込み盗んだる金が御獄の罪科は,蹴抜けの塔の二重三重,重なる悪事に高飛びなし,あとを隠せし判官のお名前騙りの忠信利平。 |
赤星十三郎 | またその次に列なるは,以前は武家の中小姓,故主のために切り取るも,鈍き刃の腰越えや砥上ケ原に身の錆を磨ぎ直しても,抜きかぬる盗み心の深みどり,柳の都谷七郷花水橋の切り取りから,今牛若と名も高く,忍ぶ姿も人の目に月影ケ谷神輿ケ嶽,今日ぞ命の明け方に消ゆる間近き星月夜,その名も赤星十三郎。 |
南郷力丸 | さてどんじりに控えたは,潮風荒き小動の磯馴の松の曲がりなり,人となったる浜育ち,仁義の道も白河の夜船へ乗り込む船盗人,浪にきらめく稲妻の自刃でおどす人殺し,背負って立たれぬ罪科は,その身に重き虎が石,悪事万里というからはどうで終えは木の空と覚悟はかねて鴫立沢,しかし哀れは身に知らぬ念仏は嫌えの南郷力丸。 |
向疵の与三郎 | ご新造さんえ,おかみさんえ,お富さんえ,いやさお富,久しぶりだなア。 |
お富 | そういうお前は, |
与三郎 | 与三郎だ。 主はおれを見忘れたか。 |
ト | 手拭を取り,つかつかと進み,きっと思い入れ。 お富呆れる思い入れ。 |
与三郎 | しがねえ恋の情けが仇,命の綱の切れたのを,どうとりとめてか木更津から,めぐる月日も三とせ越し,江戸の親にやあ勘当うけ,よんどころなく鎌倉の,谷七郷(ヤツシチゴウ)は食いつめても,面にうけた看板の,疵がもっけの幸えに,切られ与三(ヨソウ)と異名をとり,押しがりゆすりは習おうより馴れた時代の源氏店,その白化けか黒塀に,格子造りの囲い者,死んだと思ったお富たあ,お釈迦様でも気がつくめえ。 よくまあお主あア達者でいたなア。 おう安,これじゃあ一分じゃ帰られねえ。 |
弁慶 | 爰に中頃帝おはします。御名を聖武皇帝と申し奉る。最愛の夫人に別れ、恋慕の情やみ難く、涕泣眼に荒く、涙玉を貫ね乾くいとまなし。故に上求菩提の為、盧遮那仏を建立し給う。然るに、去んじ寿永の頃焼亡し畢(おわ)んぬ。かかる霊場の絶えなん事を欺き、俊乗坊重源勅令の蒙って、無情の観門に涙を落とし、上下の真俗を勧めて、かの霊場を再建せんと諸国に勧進す。一紙半銭報賽の輩は現世にては無比の楽に誇り、当来にては数千蓮華の上に坐せん。帰命稽首(きみやうけいしゅ)、敬って白(まお)す。 |
富樫 | 勧進帳聴聞の上は,疑いはあるべからず。 さりながら,ことのついでに問い申さん。 世に仏徒の姿,さまざまあり,中にも山伏は,いかめしき姿にて,仏門修業はいぶかしし。 これにもいわれあるやいかに。 |
弁慶 | おお,その来由いと易し。 それ修験の法といっぱ,胎蔵,金剛の両部を旨とし,剣山悪所を踏み開き,世に害をなす悪獣毒蛇を退治して,現世愛民の慈*を垂れ,あるいは難行苦行の功を積み,悪霊亡魂を成仏得脱させ,日月清明,天下泰平の祈祷を修す。 かかるがゆえ,内には慈愛の徳をおさめ,表に降魔の相を顕わし,悪鬼外道を威服せり。 これ神仏の両部にして,百八の数珠に仏道の利益を顕わす。 |
富樫 | してまた,袈裟衣を身にまとい,仏徒の形にありながら,額に戴く兜巾はいかに。 |
弁慶 | 即ち,兜巾篠懸は武士の甲冑に等しく,腰には弥陀の利剣を帯し,手には釈迦の金剛杖にて,大地を突いて踏み歩き,高山絶所を縦横せり。 |
富樫 | 寺僧は錫杖を携うるに,山伏修験の金剛杖に,五体を固ぬるいわれは何と。 |
弁慶 | 事もおろかや,金剛杖には,天竺檀特山の神人,阿羅羅仙人の持ち給いし霊杖にして,胎蔵金剛の功徳をこめり。 釈尊いまだぐ曇沙弥と申せし頃,阿羅羅仙人に給仕して苦行し給い,やや功積もる。 仙人その信力強勢を感じ,ぐ曇沙弥を改め,照普比丘と名づけたり。 |
富樫 | してまた,修験に伝われしは。 |
弁慶 | 阿羅羅仙より照普比丘に伝わる金剛杖,かかる霊杖なれば,わが宗祖役の小角,これをもって山野を跋渉し,それより世々にこれを伝う。 |
富樫 | 仏門にありながら,帯せし太刀はただ物おどさん料なりや。 まことに害せん料なるや。 |
弁慶 | これぞ案山子の弓矢に似たれど,おどしに佩くの料ならず,仏法王法に害をなす,悪獣毒蛇はいうに及ばず,たとわば人間なればとて,世を妨げ,仏法王法に敵する悪徒は,一殺多生の理によって,ただちに切って捨つるなり。 |
富樫 | 目にさえぎり,形あるものは切り給うべきが,もし無形の陰鬼陽魔,仏法王法に障碍をなさば,何をもって切り給うや。 |
弁慶 | 無形の陰鬼陽魔亡霊は,九字真言をもって,これを切断せんに,何の難きことやあらん。 |
富樫 | して,山伏のいでたちは。 |
弁慶 | 即ち,その身を不動明王の尊容に象るなり。 |
富樫 | 頭に戴く兜巾はいかに。 |
弁慶 | これぞ五智の宝冠にして,十二因縁の襞をとってこれを戴く。 |
富樫 | かけたる袈裟は。 |
弁慶 | 九会曼荼羅の柿の篠懸。 |
富樫 | 足にまといしはばきはいかに。 |
弁慶 | 胎蔵黒色のはばきと称す。 |
富樫 | してまた,八つのわらんずは。 |
弁慶 | 八葉の蓮華を踏むの心なり。 |
富樫 | 出で入る息は。 |
弁慶 | 阿吽の二字。 |
富樫 | そもそも九字の真言とは,いあかなる義にや,ことのついでに問い申さん。 ささ,なんとなんと。 |
弁慶 | 九字の大事は深秘にして,語りがたきことなれど,疑念を晴らさんそのために,説き聞かせ申すべし,それ九字真言といっぱ,いわゆる,臨兵闘者皆陳列在前の九字なり。 まさに切らんとなす時は,正しく立って歯を叩くこと三十六度,まず右の大指をもって四縦を描き後に五横を書く。 その時急々如律令と呪する時は,あらゆる五陰鬼,煩悩鬼,まった悪魔外道死霊生霊,たちどころに亡ぶること,霜に煮え湯を注ぐが如く,げに元品の無明を切るの大利剣,莫耶が剣も何ぞ如かん,まだこの上に修験の道,疑いあらば,たずねに応じ答え申さん。 この徳,広大無量なり。 肝にえりつけ,人にな語りそ,あなかしこあなかしこ,大日本の神祇諸仏菩薩も照覧あれ,百拝稽首,かしこみかしこみ謹んで申すと云々,かくの通り。 |
白紙の勧進帳を読み,切迫の問答も終え富樫は一行を東大寺の盧遮那仏建立の勧進の山伏一行と認めるが,義経を見て最後にもう一度待ったをかける。困った弁慶は窮余の策で義経を叩き殺そうという最後の迫真の演技を行い,薄々義経一行と分かった富樫は敢えて関所の通過を許す。 |
助六→意休 | 大門へぬっと面を出すと中之町の両側から,なじみの女郎の吸付け煙草で 煙管の雨が降るようだ。 |
助六→意休の手下 | いかさま,この5丁町(吉原のこと)へすねを踏み込む野郎めらは,おれが名を聞いておけ。 まず第一におこりが落ちる。 まだいいことがある。 大門をすっと潜ると,おれが名を手の平に三遍書いてなめろ。 一生女郎に振られるということがねえ。 見かけは小さな野郎だが,肝は大きい。 |
石川五右衛門 |
絶景かな、絶景かな。春の眺めは価千金とは、小せえ小せえ、この五右衛門の目から見れば、価万両、万々両。 |
真柴久吉 | 『石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人(ぬすびと)の種は尽きまじ』と落書する 五右衛門の投げた手裏剣を柄杓で受け取り 巡礼に ご報謝 |
白井権八 | キジも鳴かずば切られまいに… |
幡随院長兵衛 | お若いのお待ちなせえやし |
白井権八 | 待てとおとどめなさるしは拙者がことでござるかな |
幡随院長兵衛 | さようさ。鎌倉方のお屋敷へ、多くの出入りのわしが商売、それをかこつけ有りようは、遊山半分江ノ島から、片瀬へかけて思わぬ暇取り、どうで泊まりは品川と、川端からの帰り駕籠、通りかかった鈴ヶ森、お若えお方のお手のうち、あまり見事と感心いたし、思わず見とれておりやした。お気づかいはございませぬ。まァ、お刀を納めなせえまし |
塩冶判官 | 由良之助はまだか |
大星力弥 | 由良之助は,いまだ参上つかまりませぬ |
塩冶判官 | 存生(ゾンジョウ)にて対面かなわず,残念なと申せ |
塩冶判官 | ×遅かりし,由良之助 ◎待ちかねたぞ |
塩冶判官 | この九寸五分は汝へ,形見 |
大星由良之助 | 委細! |
家名 | 屋号 | 当代 | その他 我々も直接舞台で又は当時は盛んだったテレビ中継で目にする機会が多かった名人達など |
市川団十郎 家 市川海老蔵 |
成田屋 | 十二代目団十郎 | 九代目は『劇聖』といわれる名人 十一代目は戦後歌舞伎の華であったが,56歳で死去 |
十一代目海老蔵 | 十二代目の息子が11代目海老蔵:彼は平成以降の歌舞伎を背負っていく役者である | ||
十三代目団十郎 | 2022年に団十郎を襲名した | ||
尾上菊五郎 家 尾上菊之助 |
音羽屋 | 七代目菊五郎 | 単に六代目というと,名人六代目菊五郎を指す 当代の父は七代目尾上梅幸 当代のカミサンがもと藤純子,娘は女優の寺島しのぶ,息子が五代目菊之助を名乗る |
五代目菊之助 | |||
尾上松緑 家 | 四代目 | 二代目は時代物・世話物の立役と舞踊の名手 | |
松本幸四郎 家 市川染五郎 |
高麗屋 | 九代目幸四郎 | 先代は一時松竹を去ったが,後に復帰。 人間国宝で晩年は松本白鸚を襲名 |
染五郎 | |||
中村勘三郎 家 中村勘九郎 |
中村屋 | 十八代目勘三郎 | 先代は六代目の長女と結婚 菊吉の芸風を良く継ぎ,人間国宝 十八代目はマルチな才の役者であったが2012年12月に57歳の若さで死去 |
勘九郎 | |||
中村歌右衛門 家 | 成駒屋 | − | 六代目は戦後歌舞伎の女形の最高峰であった |
中村芝翫 家 | 七代目 | 女形の名跡 | |
中村雁治郎 家 | - | 二代目は関西の重鎮で人間国宝 二枚目役に本領 | |
中村吉右衛門 家 | 播磨屋 | 二代目 | 初代は『菊吉』時代を築いた大正の名優 当代の兄は九代目松本幸四郎 |
坂田藤十郎 家 中村雀若 |
山城屋 | 四代目 | 初代は上方歌舞伎の始祖 当代は中村雁治郎の長男で,2005年に四代目を襲名(231年ぶり) 二代目扇若時代に扇千景と結婚 |
市川左團次 家 | 高島屋 | 四代目 | 三代目は人間国宝で,戦後歌舞伎を代表する名優の一人 |
坂東玉三郎 家 | 大和屋 | 五代目 | 現在,最も有名な女形 長身を克服して2012年には人間国宝に |
坂東三津五郎 家 | 十代目 | 八代目は美食家・博識家で有名 惜しくもフグで中毒死 人間国宝 当代(十代目)は2015年2月59歳の若さで死去 |
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市村羽左衛門 家 | 橘屋 | − | 十七代目は立役の人間国宝 |
市川猿之助 家 | 澤瀉屋(おもだかや) | 四代目 | 2012年市川亀治郎が四代目を襲名 先代は『スーパー歌舞伎』を起こした歌舞伎界の異端児で,猿翁を襲名 |
市川中車 | 九代目 | 猿翁の息子香川照之が,唐突に九代目中車を襲名 なぜだ??? | |
片岡仁左衛門 家 片岡幸太郎 |
松嶋屋 | 十五代目 | 十三代目は安田財閥の出で,いかにも良家で大らか |
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